夢の向こうの記憶
しかし、と。しみじみした感慨に満ちた静穏を打ち破り、時間を動かしたのは弁慶の疑問だった。
「そもそも、なぜあの“知盛”殿の世界は、断ち切られなくてはならなかったのですか? それに、なかったことにされた世界の“記憶”がこうして残されたことの意味は、いったい何なのでしょうか」
「それは――」
「私の、失態だよ」
苦しげに表情を歪めながらも、悲壮な覚悟を滲ませて唇を震わせた望美を遮るように、凪いだ声で白龍が答える。はっと巡らされた己が神子の視線に悲しげに微笑み、ゆるく首を振って「いいんだ」と告げる。
「けど、白龍。だって、あの世界が先に進めないのは、私が繰り返しているからで」
「でも、神子が繰り返さざるをえなくなったのは、私がありうべからざる可能性を無理矢理に繋いだからだ」
そして、声に詰まって俯いてしまった望美をそっと見やってから、話についていききれていないのだろう弁慶をはじめとした面々へと向きなおった。
語られる言葉は、恋心と深い恩愛の奥底でずっと燻ぶり続けていた疑念と八つ当たりを紐解くものだった。なるほど、そういうことだったのかと、ぼんやり感慨に耽りながら知盛は神の紡ぐ絡繰りを聞く。
「私は神だけれど、ヒトによって『在る』カミ」
ヒトの思いによって編まれたのが私達。人々が己らの守りにと欲し、祈ることで生じた存在。私は、世界の柱としてのカミではないんだ。
「だから私は、人の営みにかかわるし、世界の営みに支配される」
そして、神子と八葉は私の神としての定義に組み込まれた、私が神であるための要素。
「私の力は、あなた方の力になる。私のしがらみは、あなた方のしがらみになる。――私の失態には、あなた方も、巻き込まれる」
「それが、ありうべからざる可能性、ですか?」
「そう」
溜め息のようなか細さで肯定を紡ぎ、白龍は視線を伏せる。
私は、神子を愛することの意味を、間違えたんだ。
継ぎ足された声に滲む苦渋と後悔にそっと眉根を寄せたは、ふいと差し向けられた透明な視線に思わず息を呑む。
「ごめんなさい」
「え?」
「私は、あなた方の魂に、癒えぬ傷を刻んでしまった」
唐突に話題を振られても、はついていききれない。慌てて見知らぬ記憶の海を漁って告げられた謝罪に該当する事項を探す一方、知盛は別であったらしい。ざわりと揺らいだ気配が徐々に冷え込み、痛ましいほどの殺意に満ちるのをまざまざと感じ取る。
「“神子”が、あなたを助けられなかったと悔いていた。私はその嘆きを癒したいと願い……五行に還るはずだったあなたを、在るべき世界から引き剥がした」
終わりを、はじまりへと繋いだ。ありうべからざるはじまりへと、捻じ曲げた。
「私は神子のことしか見えていなかった。神子の声しか聞こえていなかった」
私はヒトによって定義されたカミだけど、それでも確かに神だから。ヒトの恋い方ではなく、カミとしての在り方で愛さなくてはならなかったのに。
「過ちと、気づいていないわけではなかった。それでも、構わなかった」
ただ、願いを叶えればそれで神子が笑ってくれると、そのことしか思っていなかった。
神による告白は、あまりにも世俗にまみれたヒトのそれだった。数多の記憶の中に、目の前の神と同一の存在らしき幼子の姿がある。人とは異なる存在ゆえ、達にわかりやすいようにと示されている擬態なのだろうが、それだけではないのだろう。
この神は、幼いのだ。そしてあまりにも人に近い。
ゆえに彼の心が幼子のそれに近かったのだろうことを、は冷笑する思いを抱きはしても詰る思いを抱けない。
「それでも、結果としてあなたが引きずり込んだ“わたし”は“あなた”の神子の願いを叶える結末を齎さなかった」
「……そして、“私”は可能性を求めて、何度となくあの世界を繰り返している」
だから、断ち切られないといけなかったんだね。深く昏い透明な声での予測を引き取った望美は、愁うように視線を伏せる。
Fin.
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