朔夜のうさぎは夢を見る

夢の向こうの記憶

 はたはたと瞬いて、白龍は視線を望美から外すと床に落とした。
「あの二人は、楔だった」
 世界と世界を繋ぎ、神子が迷宮に封じ込めた数多の記憶が五行に還される力の奔流に乗じるために、ここに渡った。可能性のひとつ。過去であり、未来である。分岐し続ける世界を見遣る神だけが見知っているはずの、私達が出会うべきではない夢うつつ。
「それゆえに私は、あなた方が私達の知る“知盛”と“”の魂の巡りではないことを、知った」
 そして、私達の知る“知盛”と“”もまた、あなた方と同じように巡っているということを。
 否定に一旦は絶望を宿した将臣の瞳が、付け加えられた言葉に潤む。神の確信は、真理。ようやく確証を与えられた、救いを求め、縋る思いへの恩寵がどれほどの歓びを彼にもたらしたかを分かち合えるのは、同じ世界で時間を刻んだものだけ。
 それぞれに浅からぬ喜悦に満たされた一同から置き去りにされたような錯覚をぼんやりと抱いていたは、うかがうように持ち上げられていた白龍の視線が意を決して自分に据えられるのを、無感動に正面から受け止める。


「あの“知盛”は、あなたを探していたんだよ、
 ようやく自分にかかわりのある真理へと話が踏み込んだのだと。察すると同時に無意識の緊張に強張った背中を、宥めるようにさするのは大きな掌。引きずられ、呑みこまれてしまいそうだった恐怖を思い出し、けれど大丈夫だと確信しなおせるのは“自分”を見失わない知盛がいてくれるから。手が届く限りは掴まえていてくれるのだと、無条件に信じていられるから。
 深く息を吸い込むことで気持ちを持ち直し、は小さく首を傾げて話の続きを促す。
「“あなた”の絶望をとても悲しんで、“あなた”の行く末を、案じていた」
 “あなた”を解き放ったことへの対価と、“あなた”を弑したことへの祟りとして、“あなた”を崩壊させた世界の終焉を課せられた。
「それが、あの“知盛”殿と“夜叉姫”の行く末ですか?」
「そう」
 話の筋を見失わないように絶妙の間合いで入れられる弁慶の確認に、白龍は切なげに眉を顰めて顎を引く。


 “知盛”は“”を弑したことで祟りを負った。“”を弑すことであなたの魂をかの世界の枠組みから解き放った。だけど、あの永劫回帰の世界を断ち切るには、“”が次の命へと巡っていることが必要だった。
「巡らないまま世界を断ち切ってしまっては、あなたの魂を殺してしまいかねない。解き放たれたことが証されて、それで初めて、“知盛”は祟りを赦されるのに、それでは罪科と宥恕が矛盾してしまう」
「……そんなんじゃ、ねぇよ」
 ぽつぽつと、どこかたどたどしく神と世界の理を語る白龍に、ぎりぎりと拳を握りしめていた将臣が呻くように反駁を突きつける。悲しげに、不満げに。けれどどこまでも誇らしげに。
「許されるとか、許されないとか。そんなこと、“アイツ”が考えてるワケあるか」
 ぎらぎらとした光を宿す双眸は、きっと還内府としての将臣のものであり、“平知盛”の“義兄”としての、あるいは友としてのそれであろう。遠い記憶が懐かしいと思い、愛しいと思うのを感じている。
「世界を断ち切るのなんか、どうせ二の次だったはずだぜ」
 そう、その通り。そんな理屈と綺麗事でなんて片付けないで。ふと鋭さを潜めた紺碧の双眸が、切なげに知らないはずの記憶を見つめる。
「あんなに焦がれてたんだ。幸せになれたかどうかが気になるのは、当然だ」


 確信と信頼に裏打たれた声が震えているのを、嬉しいと思う。思わず和んだ目尻を自覚するは、背中に回されていた掌にじわりと力と熱が篭もるのを知る。
「“アイツ”はずっと待ってたんだ。アンタがずっとずっと焦がれていた“知盛”に辿り着いて、ちゃんと笑ってられる未来を」
「それを見届けなければ終われず、それを見届けたからこそ、終われると。きっと、あの“知盛”殿のお言葉は、そういう意味だったんでしょうね」
 輪廻を断ち、世界を絶つのは“知盛”にとってすべての終焉。いつとも知れない“次”に巡るまで、気がかりを確かめる機会は永劫に喪われる。そんな半端さを許容するわけがないとの確信がくすぐったいほどすっぽりと胸に収まって、はどうしようもなく切なくなる。
 本当に、本当にどこまでも優しい人。異なれども同じ魂。同じ在り方。だからこそ、異なれども同じなる自分がどこまでも惹かれ続けるのだ。世界を超えて、時間を超えて、どこまでもいつまでもその魂を追いかけてしまうほどに。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。