導なき道
三種の神器のうち、八尺瓊勾玉が欠けているというとんでもない障害はあったものの、それでもすべてが朝廷に返還されるという事実は大きかった。どうやら事前にその辺りも含めて抜かりなく協議が行われていたらしく、つつがなく儀式は進行し、朔は無事に兄や対の神子の許への帰還が適った。
儀式さえ成ってしまえば、あとはいかにも後白河院好みの座興が待っているのみ。主に関係者を招いての宴席が用立てられるという話は聞いていたが、よもや官位も何もない自分も出席を打診されているとは知らなかった朔は、目を白黒させるばかりであったのだが。
ともあれ、招かれた以上は身支度を整えて院御所でもある法住寺殿に赴くしかあるまい。自分達、龍神に近しい関係者こそが源平の橋渡し役にならねばと随分気を張っている九郎に仄かに笑みを向けながら出向いた先で、ぎこちないながらも表面上は穏やかさを装った宴席が開催される。そして何を思ったか、席次が崩れると同時に、望美が平家側の最上座に座っていた将臣を手招いたのだ。
直衣姿も艶やかに、慣れた調子で裾を捌く挙措は実に様になっている。望美や譲と同じく異世界から来たという話だったが、さすがに権勢を誇っていた頃の平家を身をもって体験していると違うのか。堂々とした振る舞いは、彼が背負う“還内府”の名をよりいっそう輝かせているようにも思える。
「おう、どうした?」
とはいえ、中身は望美の幼馴染であり譲の兄である将臣なのだ。盃を片手にどっかりと腰を下ろし、浮かべる笑顔は実に屈託がない。
「ねえ、知盛はどうしたの?」
「あ?」
そして、望美の問いは唐突にして核心的だった。盃ついでにという様子で引っ張ってこられていたもう一人の青年が膝を折りながら軽く目を見開き、将臣は頓狂な声を上げて眉を跳ね上げている。
「だから、知盛。新中納言。和議の席にもいなかったし、今もいないみたいだし」
「お前、知盛のこと知ってんのか?」
「うん。まあ、ちょっと」
ある程度声を潜めているということは、その問いがいかに重いものであるかはわかっていたのだろう。将臣からの切り返しは曖昧に誤魔化しながらも、望美の表情はどこか緊迫感に強張っている。
その疑問は朔も似たようなものだったし、それ以外の八葉の面々も同様に不思議に思っていたのだろう。平家の僥将、新中納言、平知盛といえば実質的に平家の総領とみなされている存在だ。こと、平重盛の黄泉還りと思われていた“還内府”が実は将臣だったことを知ってしまえば、平家の血を持つ本来の総領は、という発想に至るのは当然の帰結。だが、将臣ともう一人の青年は、互いに目を見合わせてどことなく苦しげな表情を浮かべている。
「まさか、和議に反対しててエスケープしているんじゃないよね?」
「……いったいどうしてお前がそんなに知盛にフレンドリーな考えを持ってんのかは、とりあえず置いとくけど」
なぜ望美が面識のないはずの平家の将を見知っているようなのか、という点に関して、将臣は早々に追及を諦めたようだった。この和議を結ぶにあたり、あらかじめ熊野で膝を突き合わせて協議を重ねた際の経験が尾を引いているのかもしれない。
望美は、知りえないはずの多くのことを知っている。決してそのゆえんを明かそうとはしなかったが、それは彼女が神子であるがゆえの特異能力であるということで八葉達は追及を諦めていた。なぜ、どうしてと追及するよりも、それを礎にして未来を掴むことをこそ優先したのだ。
いきさつを知らないらしい青年はどこか訝しげだったが、将臣が諦めた時点で追及を諦めたのだろう。ちらと将臣の横顔を一瞥し、そのまま黙って脇に控えている。
「そういうんじゃねぇよ。どっちかっつーと、アイツなりのけじめってやつだ」
苦々しげに息を吐き出し、そのまま言葉を探しあぐねて口を噤んでしまった将臣に代わって、今度は青年がそっと口を開く。
「和議の席は、めでたき席。ゆえ、自分のような“あってはならない”存在は座を汚すべきではない、と申されまして」
「“あってはならない”?」
きょとと目を見開いて復唱した望美に、青年は今度こそ悲しげに瞳を歪める。
「神子殿の千里眼でも、ご存じなかったのですね。……兄は、既に死した身なれば」
絞り出すように紡がれて、ようやく朔はあの邸に満ちていた静謐な、水底のような躍動とは真逆の気配の正体を知る。怨霊とは違っていた。けれど、生き人とも違った。その正体は、死人の魂ゆえであったのかと。
Fin.