朔夜のうさぎは夢を見る

導なき道

 朔は、この戦乱がこうして平和な形で終結することを本当に、心の底から喜ばしいと感じている。武家に生まれたからにはそれなりに心構えも覚悟もできているつもりだったが、兄が戦乱で喪われる可能性が少しでも減ればそれは嬉しいし、同じことが見知った顔のすべての相手に対して当てはまる。誰もがこの和議に向けて少しずつでも、あるいは無理やりにでも変わろうとしているのに、何も変わろうとしない知盛はだから、どうしても自分とは真逆の存在のように思えてしまう。
 そこには、もしかしたら男女の違いというものがあるだろう。彼は男で、もののふで、敵味方を問わずその勇猛さが名高い武将。なればこそ、戦場で散ることをこそ何よりの名誉と思っているのかもしれない。その覚悟は立派だと思うが、その覚悟を悲しいと思うだろう存在があることも知ってほしい。そして、その覚悟が必要なくなるだろうこの和議を喜んでいる存在がいるだろうからこそ、もう少し前向きに和議を見据えてほしいのだ。
「乗り気か否か、ではない」
 無論、そう思うことが朔の一方的な願いであるだけかもしれないことも知っている。だからこそ控えていたのだが、溢れ出てしまった思いは止められない。咎められたのならばともかく、意外にもまっすぐに思いを返してくれる気配があるのだから、なおのこと。


 ひとつ息をつき、知盛は視線をわずかに伏せる。
「ただ、軍場の外に、俺の居場所はない、と……それだけのことだ」
 だというのに、突きつけられたのは想像以上の重い言葉だった。
「そのようなことは――」
 ない、と。言い切れないのは、朔が知盛のことを何も知らないと自覚していたからだ。彼が何を思って今の言葉を紡いだかはわからない。何の根拠があるのかもわからない。だから、否定をしたいのに否定ができない。
「お気に病まれぬよう。別に、悪しきことではないさ」
 そして、言葉を中途半端に飲み込んだ朔に、知盛は宥めるように薄く声を笑わせる。
「俺は、貴族と化した一門における異端。戦乱においてこそ、俺の力が必要だと言われた」
 ゆったりと腕を組み、深く息を吐き出しながら言葉が編みあげられる。
「ゆえ、その力が必要なくなった今、俺の存在は一門に必要とされない」
「……あなたは、それでいいの?」
 うっかり聞き返しながら、朔は悲しさと悔しさが入り混じる感情に混乱していた。だって、その言い草はまるで、彼という存在が単なる駒にして道具にすぎないと言っているようではないか。それはとても悲しくて、そう思っているらしい彼がとても哀しいのに、知盛は感慨もなく浅く頷くのみ。やわらかく、構わないと嘯く。
「それこそ、戦乱の終結の証左だろう?」
 呟きを構成していた声は、本当に静かだった。ああ、なるほどと切り離された意識が深く納得する。なるほど、彼がいるからこそこの邸はここまで静やかなのだ。彼は、終わろうとしている。戦乱においてのみ必要とされた己だからと、その向こうに進むことを選ばず、こうして唐突に断ち切られた時間の淵に立ちつくしている。
 終えることもできず、けれど終わりを突き付けられたからこその静穏なのだ。


 そのまま、やはりいつでもひたすら眠り続けていた知盛は、年明けを待たずに神泉苑にて執り行われた和議の席には姿を現さなかった。屋島から京までの一行の護衛には確かにその姿があったのだから、これはあえての欠席とみて間違いないだろう。人質ゆえに和議が成るまで平家陣営の席に座らされている中で、朔は流れゆく時間と停滞する時間の間に存在する、覆すことも越えることも許されない溝にして壁を思い知る。そして彼は、では、どこに往くのだろうか。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。