朔夜のうさぎは夢を見る

紫雲のたなびく

 位階も持たぬ小娘が何を生意気な口をと、いきり立つ周辺の貴族達を扇の一振りで黙らせ、院は楽しげに問う。
「どうじゃ? そなたが望むなら、召抱えてやるにやぶさかではないぞ?」
 それは、お前だけならば助けてやることも適うがと、そう問う声。問いながらちらと視線がの背後に飛ばされたことは察せている。恐らくは将臣の反応をも楽しんでいるのだろう。だが、その程度で揺らぐような半端な覚悟など持ち合わせてはいない。顔を伏せていることをいいことに、は薄く口の端で嗤う。
「やがて紅葉の落つる冬が来るのなら、胡蝶はただ雪に落ち、埋もれる定め」
 紅葉は、宮中においての主を示唆する表現のひとつ。さすがにここまであからさまなやり取りが続けば、宮中に縁のある者達はの告げた“胡蝶”の名乗りの意味に気付いたのだろう。色味を変えて突き刺さる視線に、は伏した後頭部と背中で語る。己が月天将であることを隠さない。
「欠けることを厭わぬ月と?」
「欠けぬ望月を謳いし藤の花も、盛りを過ぐればひそりと咲くのみ」
 あまりに直截的な揶揄に色めき立つ気配も、けれど惜しむように逃されたと息と笑みとに鳴りを潜める。


「落ちぬ紅葉も欠けぬ月も、手にできるならば、手にしたいものだが」
 それは、純粋に悼む声だった。ああ、なるほど、この人の目にも滅びははきと映り、それでも惜しまれている。その事実に、は寂しさと喜びを覚える。
「手折り、囲えば欲したそれとは異なる姿と化すやもしれませぬ」
 だから、ほんの少しだけ希望を篭めて伏線を張ってみることを思い立つ。
「法皇様の慈悲深さには、心より感じ入るばかりにございます」
 わずかにでも惜しんでくれるなら、まだかの人々を惜しむ思いが残っているのなら。
「なればどうぞ、ただ一振りの枝ではなく、木を、庭を。一時の光ではなく、四季を通じて天を眺むることをこそ、お楽しみくださいませ」
「竜胆の咲く庭に、蝶を舞わせよと申すか?」
「それはそれで、風情があるやもしれませぬ」
 ここまでくればもはや九郎達にも自分の正体はあからさまにばれているかもしれないが、どうせ熊野川が渡れるようになればもう別れるのだ。構いはしない。ただ、この場での絶好の機会を逃さないのみ。
「確かに、それもまた一興ではあるな」
 与えられたのは、言質とも呼べない飄々とした相槌。それでも、何もないよりはよほどましだろう。深々と頭を地に擦りつけ、は「ありがたきお言葉」と感慨深くいらえる。


 大社の宮司が院をもてなすということだったので、そのまま宿に戻ることとなった一行だったが、無邪気に舞の出来を褒めそやす黒白の龍の神子とは対照的に、八葉の面々はあからさまな警戒を向けてくる。
『心地良い緊迫感だな』
『……少々やり過ぎました』
『ここまで気づかなかった奴らの落ち度だ』
 別に胸が痛むわけではないが、ついでに将臣にもあからさまな警戒心が向いている点については申し訳なく思っている。それでも、しょうがないとばかりに呆れと諦めを交えて笑いかけられてしまえば返す言葉はないし、獣はあくまで楽しそうであるし。
 それにしても、喰えないのは無邪気に笑う瞳の奥に不信感をのぞかせる望美である。あくまでにこにこと笑いつつ、けれどの存在を疑っている。彼女は良い軍師になるだろうなと、そんな物騒なことに真っ先に思い至ってしまった自分に、少しだけ苦笑を浮かべてみる。


 まだ日が高かったこともあり、そのまま氾濫の収まり具合の確認も含めて本宮への道を辿ってみれば、予想通り、そこには穏やかな水面が広がっていた。
「お、ラッキー。これならもう渡れるな」
「そうだな。だが、お前、これで氾濫が収まっていなかったらどうするつもりだったんだ?」
「ん? そん時はそん時だろ。引き返して、原因を探るさ」
 気が早いと言われつつも先を急ぎたいからと荷物を手に山道を登ってきた将臣は、呆れ混じりの九郎の言葉にからりと笑う。
「まあ、でもそういうこった。お前達は戻るんだろ? なら、俺らはここまでだな」
「でも、帰り道はどうするの? 早くお参りしたいのはわかるけど、だったら帰りは待ち合わせるとかできないかな?」
「お前らも用があるんだろ? 変に足を引っ張り合うこともねぇよ」
 望美の提案をやんわりと、しかしきっぱり断って将臣は仄かに苦笑を浮かべる。
「ばったり会えたんだ。また次も、どっかでばったり会うかも知れねぇだろ? あんまり深く考えるなって」
 ぽんぽんとどこか俯き加減の望美の頭を軽く叩いてやり、そのままぐるりと八葉の面々を見回す。
「じゃ、世話になったな」
「色々と、ありがとうございました」
 短く別れの挨拶を告げる将臣に続けて、も笠を取って腰を折り、道中の安全を祈願する言葉を受け取ってから踵を返す。しばらく名残惜しげに、あるいは未練がましく見送る視線を感じてはいたが、振り返るつもりはない。背を向けたが最後、どれほど口先で「気をつけて」と言おうとも、次にまみえるのはきっと戦場なのだから。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。