朔夜のうさぎは夢を見る

紫雲のたなびく

 楽の音を引き裂くようにして上がった咆哮に見向きする必要はない。ざわめきも、楽が途絶えたことも関係ない。一層強く神気を乗せながら、は剣に見立てた扇を翻す。
「法皇様、下がってください!」
「ようやく正体現しやがったなッ!」
 視界に、飛び出す神子と八葉を捉えていた。ただそれだけのこと。暴れ回る怨霊を相克属性の八葉の術で抑え込みながら、神子は確実にその力を削いでいく。周囲に展開した残る八葉が、観客達に危害が加わらないよう防衛線を展開している。そして、何よりも深い殺意を篭めたへの攻撃は、射線上に立つ獣がこともなげに叩き落とす。


 陰の気と陽の気が入り混じり、突風を呼び起こす。そのすべてを神気の渦に巻き込んで天へと逃しながら、は舞う。その間にも、神子と八葉による攻撃は止まない。息の合った連係によって徐々に怨霊を追い詰め、そしてついに決め手となる一撃が放たれる。それは、白龍の神子にのみ扱えるという怨霊の辿るべき道を示す光。
「めぐれ天の声! 響け地の声!」
 周辺を巡る五行の気が、神子の言霊に導かれて収束していく。舞が終焉を迎えたのをいいことに、そのまま視線を転じて神子の姿を目に焼き付ける。戦闘をつぶさに観察することは叶わなかったが、ちらと垣間見ただけでも彼らの実力の高さは存分に知れた。そして、これこそががひそかに見てみたいと願い続けていた奇蹟。
「かのものを、封ぜよ!!」
 言葉そのものが力を持って響く。天地が震え、そこかしこに身を潜めているヒトならぬモノがさやさやと言葉を交わすのが聞こえる。白き龍の神子による封印の余波によって祓われぬよう、必死に身を固めるのが伝わってくる。
 それにてようやく思い至り、はっとして視線を向けた先で、しかし獣は泰然と佇んでいる。四方八方に舞う光の飛沫を浴びても涼しい表情で、ただ冷徹に神子の動きのすべてを見据えている。


 簡単に息を整えて振り返る望美は大した疲労もみせていなかった。安全な場所へとヒノエに導かれて避難していた後白河院が戻ってくるのを見て、ぱっと表情を綻ばせている。
『先ほどはありがとうございました。大事ございませんか?』
『俺は、神子殿の封印ごときでどうこうされはしないぜ?』
 この隙にと舞台を降り、舞っている間中ずっと自分を庇い続けてくれた獣に礼を言ってから様子をうかがえば、からかいに満ちた声と視線が返される。
『神子殿の封印は、実に美しいな。……あまりに美しすぎて、目が灼かれそうだった』
『かほどの陽の気を漲らせておいでなのですから、あるいは当然かと』
『陰気の塊たる怨霊を還すには、確かにあれほどの陽気が必要なのだろうが』
 それしか考えていないのか。ぽつりと落とされた呟きは、無邪気に神子の美しさと強さを喜ぶ幼い姿の神へと向けられている。
『さまようモノどもが慄いていた……小さき声が聞こえぬのなら、あの神も、遠からず淘汰されよう』
 吐息に混じるは侮蔑か、哀惜か。しかし、問いただす間も無く脳裏の問答は終止符を打たれる。戻ってきた後白河院が、を招いたのだ。


 伝言にやってきた舎人に導かれて御前に膝を折ったに、院は満足げに称賛を贈る。
「実に良き舞であった」
「過ぎたるお言葉なれば、身に余る光栄と存じます」
 どうせろくに見てなどいられなかっただろうに、と。皮肉な思いは胸の奥底深くに沈めておく。
「白拍子とも違う風情があったな。しかし、そなたの扇、なかなかの品とみるが」
 院のみならばともかく、周囲にいる取り巻きの貴族もまた恐らくは見覚えがあることだろう。ここで余計なことを口走られるわけにはいかないとしては、それはあまり歓迎できない。だが、相手は高貴な存在。求められれば、差し出さねばなるまい。
「この身は泡沫の幻。なれば、手にするは夢見鳥の見る夢と」
 袖の内で指を握り締め、何とか逃れられないかと逃げの口上を探す。
「夏の夜の夢のごとくかそけき陽炎なれど、無聊をお慰めする一助になりましたなら幸いと存じます」
 口調にはあくまで余裕と優美さを漂わせ、仄かに匂わせるのはその推察はあながち間違いではないという返答。
「その夢をそなたに齎したのは、春の夜に舞う銀蝶か?」
「さて。夢かうつつか、寝てか覚めてか……。この身は胡蝶と呼び称されますれば、如何とも申しあげかねます」
 あからさまにはぐらかす言葉をかければ、くつくつと、面前では後白河院が、脳裏では獣が、同じくその白々しさを笑う。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。