朔夜のうさぎは夢を見る

紫雲のたなびく

「神楽舞は舞ったことがありませんが、真似事ならばできぬこともないかと」
 しばしの思案の後、はゆっくりと肯定に限りなく近い言葉を紡いだ。
「ですが、あくまで真似事。神事を穢してしまっては元も子もございますまい。ですので、神事の後、あくまで院をその場にお留めするための余興としてならば、舞台に上がりましょう」
「ああ、それで構わない」
 助かるとにっこり笑い、真っ先に頭を下げるのは九郎。多分に皮肉を込めてやったというのにこうもまっすぐ反応されては、としてはいささか居心地が悪い。小声で「頭など下げないでください」と紡ぎ、あくまで楽しそうなヒノエを振り返る。
「それでよろしいですか?」
「ああ、充分だよ」
「申し訳ありません。本当ならば、巻き込まずにすめばそれが一番なのですが」
「皆様に怨霊を封じていただけねば本宮へ参れないのは、わたしも同じ。お力になれるのであれば、惜しむつもりはございません」
 涼しい表情でさらりと嘯いてみせ、は優雅に袖を持ち上げて微笑む。笑みの奥に隠された猜疑の視線に、真っ向から対峙して。疑うならば疑え。どこまでも。叩き込まれた挙措は完璧なのだ。そこらの下級貴族の姫になど負けないとの自負は、主を誇り、その主に使える人々を誇るがゆえに。そうやすやすとこの身の正体を暴かせることはないと言い切れる。


 一体どんな伝手をどのように駆使したものか。さすがに頭領がいるとなれば使える権限も違うのか。話を持ってこられた三日後には速玉大社で神事が執り行われる運びとなり、望美は慣れぬ巫女装束での舞のための練習を重ねていた。せっかくだからと付き合うことになったもまた乞われていくつか舞を披露はしたが、とっておきの“真似事”はまだみせない。
 必要とあれば使うつもりがあるが、そうでなければ彼らに明かすつもりなど微塵もない。明かせばそれだけで、ここまで取り繕ってきた自分の正体を疑い、察してくれというようなものであるとわかりきっていた。そしてそれとは逆の意味で、はひょんなことから望美の得体の知れなさに拍車をかける姿を目にしていた。
「望美殿、今の舞は?」
 一休みとばかりに腰を下ろしていたはずの望美が、水を汲みに少し席を外していた間に、何やら手すさびのような調子で扇を翻していたのだ。動きに一区切りつくまで待ちはしたが、はそれに信じられないという思いを隠せない。
「あ、さんも知っていますか? 柳花苑っていう舞なんですけど」
「……聞き知ってはおります」
 口を衝いたのは偽りだった。聞き知っているどころの話ではない。かつてに舞を指南してくれた方々が、もうほとんど知る者はないのだがと言って教えてくれたものだ。一門の中でも特に舞の上手と謳われる彼らの舞う姿が美しく、必死に習い覚えればなんと、舞は面倒だと公言している主が気紛れのように舞台に共に上がってくれた。今は遠く、懐かしく、手の届かないただ幸いだけが満ちていた輝かしき日々よ。
「もう知る人はほとんどないと聞いております。望美殿は、いずこでそれを?」
「ちょっと、前に教えてくれた人がいて」
 曖昧に笑って誤魔化す姿には違和感を覚えたが、追及してもはぐらかされるだろうという妙な確信があった。仕方がないのでやはり曖昧に頷いてうやむやのまま話を終わらせたが、胸の奥で渦巻く疑念は深まるばかり。
 この世界に飛ばされて半年ほどだと、そう言っていた譲のことを疑うつもりはない。だが、柳花苑にしろ神楽舞にしろ、ありとあらゆる面で望美はこの世界でもっと長く過ごしていることを体現している。
 脳裏に反響するのは、先日、山東を下る中で主に言い渡された一言。諦めろ、と。詮索するだけ無駄なのだと、それはもはや疑いようもない。だが、信じられない。彼女という存在がもはや、何もかも、信じられなくなっているのだ。


 速玉大社での神事には、思った以上の人々が集まっていた。舞台を最も見やすい位置に誂えた座所にあるのは後白河院とその取り巻き。ヒノエはどうするつもりなのかと思っていたが、何をどう言い繕ったものか、平素と同じ姿で八葉と共に控えている。
 鼓の音を合図に、舞台に上がった望美が静々と舞い始める。どこまでも清廉に、神々しく。
『さすがは白き龍の神子……。龍脈が騒いでいる』
 あくまで愉しげにくつくつと笑う声は、けれど満足そうだった。ちらと横目に見下ろしてみれば、満足げに双眸を細めて獣はじっと舞台を注視している。
『だが、甘いな』
『そうですね』
 確かに神子の舞は美しく、そして凄まじかった。その身に漲る圧倒的な陽の気が、舞う動きに載って周囲に満ちていく。だが、意図が足りない。徹底的に清め、邪を祓うのだという意識が足りていない。事前に教えられた院の傍近くに控える怨霊が化けているという女房を見ても、苦しげにしてはいるものの耐えきれないという様子ではない。
『これでは、お前も舞わねばなるまいか』
『……清めの舞なぞ、剣舞しかわからないのですが』
『いいじゃあないか。存分に、舞ってやれよ』
 獣はあくまで傍観者として楽しむつもりらしいが、としてはそう楽観視もしていられない。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。