朔夜のうさぎは夢を見る

紫雲のたなびく

 獣の姿でありながらも、存在感の重さは損なわれない。堂々と、あるいはふてぶてしく。前足を組んでくるりと身を丸め、獣はあくまでヒノエの存在を気に留めようともしない。
「不思議なもんだね。オレにはどうしても、コイツがただの山犬には思えない」
「ただの、ではありません。わたしの大切な旅の同行者です」
「将臣だけじゃあ足りないって?」
「そういうわけではありませんけれど」
 ヒノエがこの熊野の頂に立つ神職であることは既に聞き知っている。さすがに気に敏い者は違うと、内心で感嘆しながらもは笑顔の仮面を崩さない。
「良いではありませんか。狼は大神。山路を行くに、これほど心強い護衛はありますまい」
「まあ、姫君がそう言うんなら良いんだけどね」
 そしてヒノエはするりと腰を上げ、手を差し伸べてに立つようにと促す。
「厄介で、面白いことになっているよ。せっかくだから、姫君も交じってみてはどうだい?」
 つまり、何がしかの行動のために片棒を担げというのだろう。無関心を決め込んで瞼を下ろしている獣の笑声を脳裏に聞きながら、はひょいと片眉を跳ね上げ、差し出された手を取ってあくまで優雅に腰を持ち上げた。


 一室に集まってどうやらこれまでの行動報告を交わしあっていたらしい面々は、ヒノエとの登場を受けてそれぞれに首をめぐらせる。そして、腰を下ろすのを待ち構えたように九郎が口を開く。
殿は、神楽舞はご存じか?」
「……拝見したことはございますが」
「九郎、それはあまりにも唐突ですよ」
「そうそう。ちゃん、びっくりしているじゃない」
 あまりにも脈絡のない唐突な問いに目をしばたかせながら答えたを補うように、弁慶と景時が横合いから口をはさむ。それによってはじめて気づいたというように睫を上下させ、九郎は肩を落とす。
「すまない。言葉が足りなかったな」
「なんでも、川の氾濫を鎮めるために速玉大社で舞の奉納があるんだってさ」
 潔くぺこりと頭を下げた九郎の隣から次いで口を開いたのは将臣。
「で、後白河院が勝浦に滞在しているところに望美がばったり遭遇したらしくてな。どうせなら神子を舞手にしてはどうか、って話になったらしい」
「はあ」
 なるほど、実に簡潔で的を射た説明であったが、それとが神楽舞を知っているかは全く別の話であろうに。


 もっとも、ここまで話を持ってこられてなお彼らが何を言いたいのかを察せないようでは主の相手など務まらない。なんだか面倒事がやってくる予感を笑顔の仮面の下に押し隠し、はあくまできょとんと小首を傾げてやる。
「それで、わたしにどうせよと?」
「姫君は頭がいいね。話が早くて助かるよ」
 少々ぶっきらぼうになってはしまったが、話の核心を衝く発言はヒノエやら弁慶やらといった頭脳派の人間のお気に召したらしい。にっと不敵な笑みを浮かべ、ちゃっかり隣に座っていたヒノエが膝の上からの指を掬う。
「白龍が言うには、どうにも院のお傍にあの怨霊が紛れ込んでいるらしくてね」
 大社という神域の中でもさらに聖別された場所で神楽舞による清めに曝すことでその正体を暴くことが目的であるらしい。そのためには、どうしてもより長く大社に一行を足止めする必要があり、保険をかけられるならかけておきたいというのが彼らの言い分であった。
「院もお前のことを気にかけていたし、もしも姫君が神楽舞を知っているなら、ぜひとも舞って欲しいと思ってね」
「なるほど、そういうことでしたか」
 まあ、方向性としては悪くない作戦だろう。院の傍に侍られていては下手な手出しもできない。なんとか院の目の前でその正体を暴いてやらないと、封じようにも逆賊という汚名を被りかねないのだ。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。