朔夜のうさぎは夢を見る

波紋の滲む

 望美の口にしていた“みんな”は、の想像以上に大人数だった。どうやら要領の良いらしい弁慶が紹介を買ってでたお蔭で簡潔かつ適確な把握が適ったが、ぎくりとする場面がなかったわけではない。
 笹竜胆の紋が染め抜かれた直垂を纏う青年の名は九郎だし、景時と紹介された青年は、笑顔の奥で実に油断のならない鋭い警戒の色を刷いていた。大体、敦盛の将臣に対するぎこちない態度には背筋が凍る思いだったし、そのまま疑惑と驚愕の視線を流されてもは困る。
 そして、最大の問題は一行の中でも群を抜いて小柄な体躯の、幼い少年だった。
「この子は、白龍といいます」
 最後に紹介されたその少年は、大きな琥珀色の瞳をさらにまんまるく見開いて、じっとを凝視してくるのだ。
 凝視されるから視線を返す、という姿勢でじっと見つめあうことにしただったが、その内心は複雑である。望美の強大な陽気がすっぽりと覆ってくれているお蔭で全体的に抑え気味になっている感が否めないが、紹介された面々はいずれも劣らぬ強大な気力の持ち主。
 加えて少年の、ヒトではありえない澄み切った気配は、どれほど弱っていようとも間違えようがない。この幼げな外見の、いかにも頼りなさそうな子供こそは、誰よりも理そのものに近しい存在。
「あなたは、とても純粋な気配に守られているね」
 ようやく満足がいったのか、長い睫をはたりと上下させて、少年は眩しそうに表情を綻ばせた。


 指摘には内心で表情を歪める思いだったが、それを表に出さないだけの術は身についている。あくまで不思議そうに小首を傾げてやり、は困惑を載せた視線で弁慶を振り仰いだ。
「ああ、あまり気にしないでください。白龍は、僕らには視えないモノを視ているんです」
「私の言葉、わからなかった? ごめんなさい。私はあまり、言葉がうまく使えない」
「いいえ、どうぞ謝らないでください。言祝がれたのだと、それはわかりますから」
 余計な注釈を付け加えられても困る。しゅんとうなだれてしまった少年に仄かに微笑みかけ、はゆるりと首を横に振る。
「ご丁寧なご紹介を、ありがとうございました。わたしはと申します。こちらは将臣殿です」
 そのままぐるりと紹介を受けた面々を見回し、対外用の笑顔を取り繕う。
「我が家に身を寄せられてより、ずっと譲殿と望美殿をお捜しでいらっしゃったことは存じ上げております。このような僥倖に巡り合えましたのも、すべては熊野権現のご利益にございましょう」
「兄が、お世話になっています」
「どうぞ、頭なぞ下げないでください。わたしの方こそ、熊野に参りたいと申し上げてこうして随伴していただくなど、散々にお世話をかけておりますもの」
 丁寧に腰を折って改まった態度で礼を述べてきた譲ににっこりと笑いかけ、はころころと喉を鳴らした。
「そうそう。お転婆な姫さんだから、付き合えるのは俺ぐらいなもんだし?」
「兄さん!」
「いいのですよ。お蔭でこうして、自由に外歩きもさせていただけるのですし」
 あくまで気楽な主従であることを存分に見せつけながら、は探るように見やってくるいくつもの視線を鉄壁の笑顔で迎え撃つ。疑いたいなら疑えばいい。お前達同様、自分とてこの機を不意にするつもりはない。敵方の重鎮に接して内情を探り出せる、この絶好の機会を。


 白龍の神子であるとの紹介を受けた望美を守る天地の対とのことで、将臣はあっという間に九郎と意気投合したようだった。そのまま旅路に混ぜてもらい、天地の青龍と共に先陣を切る望美を遠く見送りながら、は朔と並んでのんびりと足を進めている。
「では、殿も熊野は初めてでいらっしゃるの?」
「ええ。いつか、いつかとは思っていたのですが、結局機会のないまま」
「無理のない話ね。詣でたいと思っても、そう簡単に詣でられるものではないもの」
「空より参らむ、羽賜べ、若王子――と?」
「そうそう」
 年齢も近いのだし、せっかくだからと望美が笑うのにあわせ、は朔に言葉遣いを崩してくれて構わないと申し出ておいた。自分も気楽に話したいからと、笑いかけてしまえば、このいかにも人の良さそうな尼僧は何の疑いもなく頷いてくれて、今に至る。
 互いに熊野路が初めてだという話にはじまり、何気なく熊野詣の苦難を詰る今様をが口ずさめば、くすくすと笑声が上がる。久しくなかった穏やかで気安い女同士のおしゃべりの時間に、も自然と声がほどけていくのを自覚する。


「そう言わないでよ。苦行の道を歩くからこそ、熊野の神はご利益を恵んでくださるんだしね」
 とりとめのない笑声を邪魔することなく、けれど絶妙の間合いでその隙間に滑り込んできた明るい声に、と朔は足を止めないままに背後を振り返る。
「それに、詰っているにしては二人とも、随分と頑張るじゃん」
「頑張らなければ本宮まで辿り着けますまい?」
「ええ、殿のおっしゃるとおりだわ。大体、私達よりも望美の方がよほど頑張っているもの」
 言った朔の視線を追いかけて遙か前方を見やれば、元気に両隣の青龍と何か言葉を交わしながら、疲れなど微塵もみせずに足を運ぶ白龍の神子の背中が跳ねている。
「確かにね。まあ、もうじき田辺だ。町につけば今日はそこまでだろうから、もうちょっと頑張ってもらうしかないんだけど」
「熊野の神にご利益を願う身ですもの。無論、精一杯に頑張ります」
「いい心がけだね」
 ひょいと肩を竦めたヒノエが再び二人の後方に下がるのを横目に見送りながら、は脳裏で響く低い笑声に、やはり声にはしない言葉を返す。白々しいと、笑うならば笑ってくれて構わない。この白々しさに熊野別当がわずかにでも気まずい思いを抱いてくれたなら、それは確かに布石の一部になるだろうから。

Fin.

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