あの日の渇仰
待ち合わせ場所に先に来ていたのは、予想外の人物だった。風に乗る声からもちろん、相手の正体に察しはついていた。だが、あまりの似合わない組み合わせすぎて、現実逃避をしてしまっていたのだ。
「――Yes, when this heart and flesh shall fail, And mortal life shall cease,」
気配に聡いのは、昔も今も変わらないらしい。だから確実に自分達の接近を察しているのだろうに、傍若無人というか、マイペースというか、そういう部分も変わらない。ゆったりとした独特のテンポが不思議にマッチするのは、絶妙と表せば聞こえが良いか。
「I shall possess within the vail, A life of joy and peace.」
切りのいいところで口を閉ざし、ゆるりと巡らされるのは深紫の双眸。
「は、少し遅れると言っていたが」
間にあったようだな。そう付け加えて、視線が望美達の背後を優しく見やる。ぎぃと軋む音と共に扉の向こうから顔をのぞかせたのは、夜闇色の髪を後ろでひとつにくくった娘だ。
はじまりは唐突に。そして終わりはあっけなく。
光の渦を抜けた先は、日暮れからさほど時間が経っていないと知れる八幡宮の境内だった。貧血気味のが知盛にもたれかかっているぐらいで、特にメンバーに変わった様子はない。ただ、誰もが“見知らぬ己”の記憶に呑まれて、少なからず胸がいっぱいになっている以外は。
とりあえず有川邸に引き上げて、状況を誰よりも正確に把握しているだろう白龍に説明を乞うと同時に、明かされたのは知盛が秘めていた事情。
あの亡霊の思いは夢を介して、あの亡霊の記憶は刀を介して。
夢を通じてこの非日常へと導かれたのは、だけではなかったということだ。随分と初期の段階からすべてを知っていたのだと嘯いた瞳は、事実を淡々と語るだけで、特に何の感慨も示そうとはしなかった。
龍脈の乱れが取り除かれれば、白龍が力を取り戻すのは時間の問題だった。折しも時期は年末。新年への切り替わりは、龍脈に新しい大きな力を齎す、世界の深呼吸のようなものなのだそうだ。逆に言えば、年越しという一年の中で最大の禊の力が発揮される瞬間に巻き込まれていた場合、望美の心ごと、きっとあの迷宮は世界から不条理な矛盾と判じられ、存在を否定されていただろうとも告げられた。
「遅くなってごめんなさい。待たせた?」
「いいや。ちょうどだったよ、姫君」
息を弾ませながら小首を傾げたに、くすりと微笑んでヒノエが答える。
「来てくれて、嬉しいよ」
「……だって、これで最後だから」
傾げた首を元に戻して、はそっと眉根を寄せた。
「ちゃんと、見届けたいと思って」
悲しそうに、寂しそうに。けれど声は凛と筋が通っていて、しなやかな強さを感じさせる。
白龍が時空の扉を開く場所として指定したのは、有川邸から少し離れたところにある、路地裏の小さな教会だった。ここには優しい祈りが満ちているね。そう微笑んだ神の言葉に、聖夜の不思議な邂逅を愛しげに語ったのは、将臣だった。
短い時間だったが、密度の高い時間を共有した。そして、それ以上の深さを押しつけられた。ありとあらゆるしがらみの向こうで、しかし最後に交わすのは穏やかな別れの言葉。
思うところがなかったとは言わない。それは誰もが同じだろうとは考える。だからこそ、誰も、誰のことも責めたりはしない。詰りも、恨みもしない。ただ、すべては過ぎ去った、そして終わりにさえ辿り着かずに断ち切られた夢のかけらだと知っている。
Fin.