朔夜のうさぎは夢を見る

あの日の渇仰

 優しいけれどどこかひやりと冷たい、それこそ神性という言葉をすべて詰め込んだような光が収まるまで、はずっと、束の間の遠い過去を見送っていた。
「行っちゃった」
「帰ったんだろ?」
 どうしようもなくもやもやする内心をとどめておけず、ぽつりと呟けば律儀にも返される声は頭上から。言葉尻を捉えて混ぜ返す言葉遊びは、彼特有の、そして彼一流の懐き方であり慰め方であるとわかっていた。
「なんか、色々と意外だったわ。特に弁慶さん」
「……刀千本狩りの大男というのは、いったい何を根拠にしているのか」
「伝承って、そんなものなのかしら?」
「だったら、九郎義経もだな。小柄で、女顔だったそうだが」
「そうなの? わたし、チビで出っ歯の不細工っていうのを知ってるわ」
「………お前は、資料を選ぶセンスからやり直した方がいいな」
「そんなことないわよ」
 むっと唇を尖らせてのけぞれば、見下ろす知盛と顔の向きがあべこべになる形で視線がかち合う。
「“平知盛”は、ブラックユーモアの切れ味が鋭すぎる、捻くれた性格の人だったそうよ?」
 ね、ぴったり。そう言っていたずらげに笑うを、遠慮ない爆笑の二重唱が後押しする。


 振り返った先では、体を反対に向けて背中を丸めている望美と、椅子の背を叩きながら呼吸を引き攣らせている将臣が大笑いしていた。困り切った様子でその二人と達とを見比べる譲には申し訳ないが、あまりにも楽しそうな様子につられて、もまた湧きあがる笑声をこぼしてしまう。
「そ、それ最高! 俺も読みたいから、後でタイトル教えてくれねぇ?」
「ええ、もちろん。史書じゃなくて新書の、ちょっとした豆知識本だから、簡単に読めると思うし」
 姿勢をなおし、声を揺らしながらあっさり頷いたに、今度は隣から不本意だと雄弁に語る溜め息が降る。
「真偽はともかく、相手は日本史上でもトップクラスの人気武将だぞ」
「だから、今回の意外さは、とっても嬉しい意外さだったの」
 チビで出っ歯の不細工な義経よりは、背が高くてかっこよくて、不器用だけど誠実なあの九郎さんの方がいいもの。そう笑い返して、は上目遣いに知盛の仏頂面を見上げる。
「“平知盛”が捻くれちゃってたのは、優しすぎて、頭が良すぎたせいなんですって」
 だからブラックユーモアの切れ味は半端なく、捻くれぶりを隠すという面倒を選ばなかったのだろう。あの幻のような“知盛”とはろくに触れ合うことがなかったが、その礎となった存在への感慨の記憶を通じて、は自分の読み解いた情報が、良い意味で正しかったことを確信している。
「わたし、そういう人、大好きよ」


 夢は解き明かされ、迷宮は姿を消し、日常は少しばかりにぎやかさを増して戻ってきた。夢の産物は夢へと還ったのか、有川邸に辿り着いたと知盛の手に、紫水晶と小太刀はおろか、傷のひとつさえ残されてはいなかった。
 の知らないところで、当事者達はたくさんの議論を重ねたらしい。最後に示された結論に、だから彼らは納得しているのだろう。未練や心残りがあったとしても、そのすべてを切り捨てて、唯一と定めた道を歩くしかないのだから。
 白龍が力を取り戻すと同時に、まず起こった変化は将臣の外観だった。世界を渡った際の事情ゆえに実年齢と異なる姿をしていた青年は、ごく普通の高校生に戻った。微積分なんかもう覚えてないと大袈裟に嘆きながらも安堵の色が確かに滲んでいたのだから、やはりこれが最良の道だったのだろう。
 心配ではあるが、俺がいなくてもきっと大丈夫だから。そう信じられるほどの絆を重ねた過去は、決して無駄にはなるまい。龍神の神子を介して紡がれた絆が世界を隔ててもなお不変の思いであるように、将臣が掴んだ絆もまた、彼らの世界の歴史に積み重ねられて未来へと芽吹く糧になる。


 ヒュウ、と響いた軽やかな口笛は黙殺。頬が火照っている自覚はあったが、ぐずぐずしていると余計恥ずかしいという思いが「さ、帰りましょう」とことさら明るい声を絞り出す。
「そういえば、」
 顔を見なくて済むようにと思って先に足を踏み出したのに、襟首をひょいと引っ張られて息が詰まる。ついでに俯けていた視線が持ち上げられてしまい、微笑ましげに、羨ましげに、愛しげに。優しく見守る三対の視線に、恥ずかしさは倍増する。
「クリスマスを反故にした埋め合わせが、まだだったな?」
 意地悪そうな声なのに、その奥に潜んでいる優しさを嗅ぎ取ってしまう自分はきっと末期だ。世界を超えて、時間を超えて、どこまでもいつまでもその魂を追いかけてしまうのも当然のこと。だって、こんなに惚れている。
「できることは、限られているわよ?」
 混ぜ返した必死の強がりがどこか嬉しそうな響きを持っているのもやはり自覚できる。仰ぎ見た先には、それを嗅ぎ取ったのだろう知盛が優しく目を細める美しい微笑。その捻くれた優しさに惚れなおしたことを素直に暴露することからはじめようかと、優しく捕まえられながらはそっと腹をくくった。

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Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。