朔夜のうさぎは夢を見る

霞のような記憶

 今度こそ、白龍の神子の力は正しく揮われたらしい。眼球を灼きそうなほどの閃光がほとばしり、怨霊に悲鳴さえ許さず絶対的な神の理を現す。もっとも、それを『理解』していることこそが知盛は不快だった。いつの間にか自由を取り戻した肉体には齟齬など何も感じないが、知るはずのなかった動きを『思い出した』ことは厳然たる事実として残される。
 両手に握るのは、ほかならぬ“己の刀”だ。しっくりと馴染み、間合いなど目を閉じていても誤りようがない。はじめこそあの幻影に肉体を乗っ取られたのかと思ったが、そうではない。そうではなく、これは己の記憶だ。
 魂の奥底で眠っていた記憶を、無理やりに引きずり出され、突きつけられた。その証拠に、霧や霞でもつかむようなあやふやさで、しかし確かにこれまでまるで知らなかった単語が状況を判断するための手がかりとして脳裏に浮かぶのを感じている。


 振り返れば、精根尽きたのかその場にしゃがみ込んで大きく肩で息をしている髪の長い少女。そして、知盛は場に居合わせる他の誰とも違い、彼女を気遣うつもりなど微塵もない。
「怪我はないか?」
「わたしは平気だけど……」
 弁慶とかいう優男はとっくにあちらの少女の許に。その喧噪になどまるで関心を示さず、ゆらと距離を詰めて膝を折ってやれば、呆然と目を見開いたままはいくつも深呼吸を繰り返す。
「……もう、平良くんなの?」
 曖昧にぼかされた、それでいて核心を衝く問いかけ。小さく自嘲の笑みを刻むだけで問いは受け流し、知盛はご丁寧にもが膝の上に抱きかかえていた鞘を取り上げ、抜き身の刃を眠らせる。
「ねえ、答えて」
「俺は俺だぞ?」
「違う、そうじゃなくて、」
 問いかけたい。けれど、疑問が言葉に変換されない、といったところか。もどかしげにいくつも呼吸を重ねる姿をじっと見やり、同じく握りしめられていた血濡れのハンカチも取り上げる。スカートに染みてしまった赤黒い血痕を認めて、わずかに眉を顰めたのは彼女がそれを気に入っていることを知っているから。


 答えてやりたいのは山々だったが、知盛にもほとんどわかっていないのだ。答えられるはずもない。あの影は何者なのか。なぜ自分が戦い方を『覚えて』いるのか。
「別に、構わないだろう?」
 わずかに瞑目することで脳裏を煩わせる一切を捨て去り、血濡れのハンカチで実はまだ血の止まってさえいない傷口を縛りながら、知盛は呟く。
「それとも、お前には俺が、俺ではないように映るのか?」
「そんなことはないけど」
「なら、それでいいじゃないか」
 戦闘に身を投じる昂りが醒めてしまえば、傷を得てよりやまなかった眩暈がひょっこり顔をのぞかせる。せめてどこか、ゆっくり座って休める場所に辿り着くまではもたせたいとぼんやり考えながらこめかみを揉めば、はたと我に返った様子でが「大丈夫?」と問いを重ねる。
「戻るぞ。……役者が揃ったんだ。部外者は、退場を許される頃だろう?」
 言いながら腰を上げ、おもむろに視線を流した先には怪訝そうな、不気味そうな、驚愕であったり郷愁であったりに染まったいくつもの瞳。だが、何よりも不快なのは、その根底に共通するのが憐憫と哀切であること。


 やはりぐらりと眩暈によろめきかけたところを、今度は自力で立ち上がることの適ったがすかさず支える。己の身がままならないことは、何よりも苛立ちを生む。今回ばかりは傷による失血が原因だろうと察しはついているが、不快であることに違いはない。そして、その様子を目にして慌てて駆け寄ってきた青年の存在に、苛立ちはさらに助長される。
「大丈夫か? 無理はするなよ?」
 やけに馴れ馴れしく顔を覗き込んできた青年の双眼には、間違いなく涙が滲んでいた。心底の気遣いに濡れた声も、どこか震えてひび割れている。
「離せ」
「強がるなって。血ぃ流し過ぎだ。変に動くと、貧血でぶっ倒れるぞ」
 片手で器用に縛ったものの、それでは足りないのも事実。ずるりと緩んで落ちかけたハンカチを手慣れた様子で縛り直し、青年はもう一度、じっと知盛を見つめてからおもむろにその背に腕をまわして縋りついてきた。

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Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。