朔夜のうさぎは夢を見る

純化され過ぎた祈りの結末

 ようやく垣間見えた事の根源に混乱している時間は、けれどもう残されていなかった。事態の急展開を告げたのは、夜中に鳴り響いた有川家の電話のベル。呼び出された弁慶とリズヴァーンが連れ帰ったのは、いつの間に外出していた景時と望美。
 騒ぎを聞きつけて全員がリビングに合流したものの、望美は混乱していて説明などできない状態だし、血まみれで意識を失っている景時は言わずもがな。気丈に振る舞う姿が痛ましい朔への配慮もあり、事情を整理するのは翌朝に持ち越されたのだが、それでもなお問題は深みを増すばかり。
「それで、結局はどういうことなんだ?」
 傷は深いが、致命傷ではなかったらしい。そういえば彼は遠く時を隔てた世界で、命の遣り取りが当たり前に行われている最前線に立っていたのだったか。日頃の穏やかで飄々とした姿の印象が強く、ついうっかり忘れていた事実をぼんやりと脳裏に呼び起こしながら、は苛立ちにまみれた九郎の声を聞く。
「ですから、現状では何もわからないとしか」
 対するのはあくまで落ち着き払った、抑揚の薄い弁慶の声。薬師であるその手腕を余すことなく発揮して治療にあたったからこそ、傷の状態から何がしかの情報を得ているだろうに、弁慶は「わからない」と繰り返すばかりである。


 混乱とショックが大きかったのだろう。ろくに言葉を発せない望美からなんとか現場を聞き出し、夜明けを待って様子見に出ていたのは将臣とヒノエ、敦盛、白龍である。
 人外の気配が残っていた場合、一同の中では誰よりも正確に拾い上げることができるだろうメンバーを配したというのに、しかし収穫はゼロ。それこそ混乱しきった様子で何も手がかりが得られなかった旨を報告され、手詰まりに陥ったのはつい先ほどのことだ。
「わからないはずがないだろう? せめて、傷から相手の種別ぐらいの見当はつけられるはずだ」
「高く買ってくれているのは嬉しいですが、できないものはできないんですよ」
 まだ夜が明けない頃、景時もまたかろうじて意識を取り戻していたらしい。容体の急変に備えて控えていた弁慶を介して告げられた事情は、なんとも間抜けなもの。
「じゃあ、お前は景時の言う通り、あいつがただ『転んだ』だけであの傷を負ったとでも思っているのか?」
「それもまた苦しい言い訳だとは思いますがね。とにかく、手がかりが足りなさすぎます」
 じりじりと、ままならない現状に焦らされていると雄弁に物語る声の不穏さをさらりと受け流し、弁慶は有無を言わせぬ強い視線で九郎を見返す。
「まずは、情報を集めないと。何事も下準備が肝要であることは、九郎、君もよく知っていることでしょう?」
 その瞳の奥に秘められているのは、きっと言葉通りの意思だけではない。それは誰もが感じ取っているのだろう。ぴんと張り詰めた沈黙に、肺が圧迫されるようで呼吸が苦しい。
「景時が目を覚ますまで、僕らにできることは、それだけです」
 取り付く島もない、そしてどこまでも正論で貫かれた言葉が、一旦の幕引きを高らかに宣言していた。


 苛立ちを紛れさせるように自分も現場を確かめたいと言い出した九郎に、付き合おうと名乗りを上げたのは、蒼白な表情に何か覚悟を秘めた様子の望美だった。一度行っているからという理由でヒノエと敦盛が再度の同道を申し出、それ以外の面々も、各自で用向きを見つけてはリビングを後にする。
 なんとなく流れで取り残されたが選んだのも、外出するという選択肢だった。
「ちょっと、気になることがあるから」
「ええ、どうぞ」
 台所で譲の手を借りながら景時のための食膳と薬を用意していた弁慶は、出かける旨を言い置いたにそっと微笑む。
「今のうちに憂いを払わないと、いざという時、決断ができなくなりますからね」
 深くて残酷で、その距離感こそが優しい物言いだと思った。きっと、弁慶は何かを悟って、よりもよほど真相に近いものを掴んでいて、その上で何かを決断している。だから、決断の手前で足踏みをしているの背を押すだけのゆとりさえあるのだろう。
 ふと思い立って、は戯言にすぎないと知っている疑問を口にしてみた。
「あなた達の知っている“胡蝶”さんは、迷ったりするような人だった?」
 自分も付き合おうと言ってくれて、一足先に武器とコートを取りに席を立った知盛はまだ戻らない。本当ならば自分もさっさと身支度をしなくてはいけないとわかっていたが、なんとなく、問うてみたくなったのだ。


 はたりとまばたく金茶の瞳が、眩しそうに細められる。
「僕は、あいにくと胡蝶殿とはほとんど接点がありませんでした」
 常日頃から穏やかな声音を纏う弁慶だったが、そこにはいつも、どこか虚飾のにおいがしていた。鎧というか、仮面というか。距離を置くことで、すべてを俯瞰することが癖になっているのだろう。そう思うと同時に、そんなにすべてを恐れなくてもいいのにと思っていた。
 状況は決して喜ばしいものでもないのに、なぜだか弁慶の声はその常の響きを裏切って、実に自然に凪いでいる。
「垣間見たのも、ごくわずかな時間です。その中で、あくまで僕が感じたことをお伝えするのなら」
 そっと、そっと。穢すことを恐れるように、触れることを躊躇うように。
「どんなに悲痛なそれであっても、正しい道を選ぶ方でしたよ」
 迷いも躊躇いも、後悔さえも。すべてを受け入れ、すべてを薙ぎ払って。

back --- next

Fin.

back to うつろな揺り籠 index

http://mugetsunoyo.yomibitoshirazu.com/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。