朔夜のうさぎは夢を見る

純化され過ぎた祈りの結末

 なぜ不安なのか。改めて考えてみれば、それは本当に不思議な戸惑いだった。
 だって、あの迷宮の存在がそもそも不自然なのだ。だから、その謎を解き明かすことは正しい。謎を解き、あの不自然さを何とかして自然な日常を取り戻すことは必要だ。そのために達は日々奔走しているし、その謎の向こうに、は自分が垣間見ている不可思議な夢の正体が潜んでいると期待している。
 ならば、迷宮の最後の扉が開かれることは、すなわち終わりを意味しているだろう。いかな結末が待っているにせよ、迷宮の謎は、解き明かされる。
「あ、」
 問われた内容に答えようと思考の海に潜っていたは、そこでようやく、自分の見落としていたとんでもない核心に気付いた。
 そうだ。迷宮の扉は、きっと次で最後。最後の扉を潜れば、では、本当にそこが最奥なのか。
 たとえ最奥だとして、そこに辿り着けば、本当に謎は解き明かされるのか。


 気づいてしまえば、それはごくごく単純で、けれど恐ろしいほどの深さを湛える問題の真髄だった。
「だって、そもそも、わたしはあの迷宮が“何なのか”を、まだ知らないわ」
 “心のかけら”が納められるからには、もしかしたら望美の“心”なのだろうかとぼんやり考えたことはあった。だが、それを確かめたことはなかった。
「扉を開けて、その向こうに何があるかも、わからない。――何を解決するためにあの迷宮を暴く必要があるのかを、わたしは、わかっていない」
 湯飲みを包む指が陶器越しに感じる熱が、不意に強まった気がした。それは、指先が冷えてしまったからだ。脳髄を強く揺さぶられるような、深い衝撃。
「いい勘だな」
 だというのに、対する知盛は実に満足そうに喉を鳴らす。
「だから、言っただろう? 先に結論を据えないと、過程に翻弄されることになると」
 明確にそうと言わなかったではないかとは、詰れない。確かに、そう捉えることもできる言い回しだった。ただ、聞いた側であるの理解力が、知盛の含めたすべての意図を汲み取れなかっただけで。


 が必死に頭を動かしている間にも確実に体積を減らされていた草団子の最後のひとかけらが、知盛の口に放り込まれる。
「わたしは、あの不思議な夢の正体が、あそこに潜んでいることを期待している」
「それは、つまりどういうことだ?」
 あの夢が伝えてきたのは、禍々しく強大な神の存在。けれど、これまではその気配を迷宮の中で感じ取ったことはない。次に感じたのは、何かを呑んで強大化した、その存在感。そして現実に感じたのは、佐助稲荷をはじめとする寺社での、奇妙なほどの空虚感。
 関わりあるだろう点と点を並べて、繋ぎ合わせれば恐ろしい図式が組みあがる。見たくない、気づきたくなどない。けれど、目を逸らしていては、きっと終わりに辿り着けない。
「あの迷宮の一番奥には、とんでもないものが『封じ込められて』いるの?」
「ご明察」
 薄暗い嗤笑を孕ませた声で、謡うように知盛はの導いた答えを肯定する。


 ぞくぞくと背筋を走るのは、寒気であり恐怖であり、悔悟であり決意。ああ、そうだ。自分は辿り着けなかった。油断して、そして喰らわれかけた。翻弄されて、掠りさえしなかった。誰よりも誰よりも、自分こそがアレに対峙するのに見合った異能を宿していたというのに。
 覚えのない記憶が紡ぐ悔恨の思いに、悟るのはこのしがらみにおける己の責務。
「“俺”には、その正体が何であるかまでは、わからない。だが、最後の扉を開けることで遭遇するだろうモノはとんでもない代物だと、痛いほどに刃が訴える」
「……何を、感じてるの?」
「言葉で表現するのは難しいが」
 さらりと嘯き、知盛は瞳孔を引き絞る。
「強いて言えば、そうだな。仇を討ちたい、とでもいったところか」
 低く、地を這うような声には怒りでも憎悪でもなく、先ほどのが感じたのに似た悔悟と決意とが滲んでいる。

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Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。