分岐さえない螺旋の記憶
そして、彼らにとって埒の明かない思索に耽る時間よりは、とりあえずわかっている現実を抱えて問題を解決することの方がよほど生産性のあることだった。いざ刀を手に入れたはいいものの、その腕は未知数。まずは腕前の程を確かめようという話になり、さっそくとばかりに庭でが向きあうのは九郎だ。
いきなり真剣を振るうのは躊躇いが大きすぎるからと、握るのは竹刀。ぎこちなく構える姿に、ふと幻が重なる気がして将臣は視線を逸らす。
「かかってこい」
構える姿勢にも、もしかしたら人間性が滲むのだろうか。ぴんと背筋を伸ばし、どこまでもまっすぐに対峙する九郎に凛と告げられ、は惑うようにわずかに重心を背中側にずらす。
ああ、あの人はこんな姿は見せなかった。将臣の知る限り、月天将は随分と経験を積んだ練達者であり、手合わせをしたことはなかったが、きっと自分では勝利をもぎ取ることが難しいという感覚もあった。
知盛の戦闘スタイルは、ヒット・アンド・アウェイに近い。スピード感を活かし、緩急をつけて相手を翻弄しながらごく少ない手数で致命傷を叩きつける。懐に潜り込む際のスリルを楽しむきらいもあったが、それだけの危険な賭けを効率の良い戦闘法に昇華するだけの才能と実力が漲っていた。
同じくスピード感と小回りを活かしはするが、月天将の動きは彼女の纏うもう一つの名のとおり、蝶のごとく軽やかなものだった。知盛の一撃には、鋭さとそして重さがあった。月天将の一撃には、重さはないが速度と正確さによる殺傷力が溢れていた。
いつから彼女が刀を握っていたかは、結局聞きそびれてしまった。重衡に聞いたところによると、彼が彼女を知った頃には既に、彼女は知盛手ずからの手ほどきを受けていたそうだが。
脆く頼りない攻撃を、九郎が難なくいなしている。これではきっと、が前線に立つことはないだろう。そう思い、安堵と失意を同時に味わう。そして、この状況をさて、将臣がいまだ掴めずにいる“知盛”はどう思っているのだろうかとちらと振り仰いだ先では、ちょうど、形のいい薄い唇がついと円弧を描く。
纏う空気が切り替わり、欠片も存在しなかったひやりと背筋を凍らせる殺意が滲む。息を詰めて慌てて返された九郎の竹刀が、これまでになかった鈍く重い打撃音を立てる。頼りないばかりだったの姿勢が、いつしか芯の通ったものになっている。
「――ッ!?」
押し切るという発想はないのだろう。打ち合わせた勢いに乗って一旦距離を置き、助走をつけて次は下段から。唸る竹刀の残像の向こうに、ひどく好戦的な笑みが透ける。
見知らぬ光景。けれど、容易に脳裏に思い描くことのできる、ありえない記憶。そうだ、こうでないと。こうしてこてんぱんに叩きのめされるのは、時には自分であり、一門の抱える子供であった。
知盛配下の郎党と手合わせをしているのを見た気もする。頭頂部でひとつに結いあげられた髪が、身を翻す動きにつられて宙を走る。いざ従軍する際には邪魔にならないようにときっちり纏められていたが、手合わせの際にはああして流されていることが多かった。それは、他ならぬ知盛自身の要望でもあって。
知らない光景と知っている光景が、ないまぜになってただ郷愁を掻き立てる。楽しそうに笑みを刻む知盛も、困惑したように眉根を寄せる九郎も、きっと似て異なる情動に呑まれているのだろうと、将臣は察する。
ガンッ、とひときわ重い音が響き、地面に尻餅をついたのはだった。その手から弾き飛ばされた竹刀がありえない状態で真っ二つに裂けているのは、後から九郎に文句を言おうと思う。
「これだけ動けるなら、護身は十分だろうな」
鍛え具合が違うのだから、絶対的な体力差はどうしようもないだろう。喘ぐばかりで声ひとつ立てられないに対し、ひたとその眉間に竹刀の切っ先を突きつけていた九郎が、平素と変わらない声音で告げる。
「しかし、驚いた」
そのまま竹刀を下ろし、手を差し伸べて起き上がるのを助けてから、九郎はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「途中からいきなり動きが良くなったが、加減していたのか?」
「ちが、う、わ」
大きく肩で息をして呼吸を整えながら、は首を振る。首を振り、言葉を紡ぐ代わりとばかりに持ち上げられた右の掌には、確かにこの手合わせの前にはなかったはずの夢の残滓。
「お守り、だ、って」
深い深い紫水晶の首飾りは、けれど将臣の胸元にかかっているのに。
Fin.