朔夜のうさぎは夢を見る

存在を許されなかった希求

 よろしかったのですか、と。白々しくもそんな言葉を投げかけてきたのは、ちょうど空になってしまった知盛のグラスを問答無用で取り上げ、湯飲みを突きつけてきた弁慶だった。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ」
 まさかアルコールを取り上げにきたのかと思いきや、湯飲みの中はほかほかと湯気を立てる焼酎の湯割り。アルコール分のキツさとしては不満もないし、やはり、温かな飲み物は体を温める。ほぉ、と満足の吐息を唇から逃し、ついでに載せた問いには不満だらけの返答しか与えられない。
「そのままと言われても、候補がありすぎてわからん」
「では、そのすべて、ということにしましょうか」
「……喧嘩を売っているのか?」
「まさか」
 その段になってようやく、嘘くさいばかりの穏やかな笑みに微かな苦みを織り交ぜて、弁慶は小さく首を振る。
「感謝をすれども、喧嘩を売る理由など、どこにもありませんよ」
 言いながら呷る湯飲みの中からは、知盛の手許以上に強いアルコールの香りが漂っていた。


 賑やかな時間に、思いのほか疲れてしまったのだろう。ソファで身を寄せ合って眠っていた二人の神子は、天地の玄武によって寝室へと運ばれている。リビングに残っているのは、後は男どものみ。それぞれにのんびりと寛いでいながら、弁慶の言葉に神経が集まっているのは明白だった。
さんを将臣くんに貸して差しあげるのは、不本意だったのではないかと思いまして」
「………のっておいて、よくもぬけぬけとそんなことが言えるな」
 けろりと言われた内容に、知盛は呆れと感心を隠しもせずにしみじみと感想を述べる。矛盾する情動のように思えるが、本当に、まったくもってその二つの感情が声に滲んだのだ。
「ありがたい状況だったので、遠慮なく活用させていただいただけですよ。言い出された折りには、僕もとても驚いたんですから」
「白々しい」
「よく言われます」
 あっという間に取り繕いなおされた笑みは、何を言っても動じない。なんだか無駄な労力を費やしている気がして、深々と溜め息を吐き出すことで知盛はこの厄介な相手の真意を探ることは諦める。


 良いも悪いもないだろう、というのが知盛の言い分だ。それがわかっていたからこそ、きっと弁慶もあのタイミングで言葉を添えたのだろうに、あえて知盛の口からその思うところを言わせたいのか。いったい何をもってそんなに回りくどいことをしたがっているのかはわからないが、これはこれで、弁慶なりの気持ちの整理なのかと思いなおす。
 誰もが少なからず、自分達を見る目に悲しみと後ろめたさと、縋りつく思いを滲ませていた。ひとつずつ解いてやろうと思うほど彼らと深い関係を築いた覚えはないが、まったくの無関心を貫いて放置しておくにはなぜか躊躇いがあった。この状況は“自分”のせいなのだと、胸のどこかで罪悪感を覚えている。
「あんなにあからさまに苦しんでいる“ガキ”に、不本意も何もあるか」
「ガキ、ですか?」
「ガキだろう? あのバカも、お前達も」
 悪意も他意もなく、ただ毒をたっぷり塗りこめて冷笑してやり、知盛は意外そうに復唱した弁慶にちらと視線を投げる。
「お前達の身の上に、何があったかなんか、知るつもりもないがな」


 どいつもこいつも、見かけはそこそこ以上の年齢だというのに、笑えるほどに子供じみている。自分の腕は二本しかなく、指は十本しかないという現実を、理解してはいても行動に結び付けられない、憐れな矛盾を体現している。
「夢想するのは勝手だ。面影を重ねたいなら、そうすればいい。できもしないのに記憶を否定しようとして、失敗しては俺達に面影を重ねることにさえ開き直れずにいる」
 自分とはだいぶ種類を異にする人間であることを、知盛は理解しているつもりだった。似ているところもあるが、違うところもおおいにある。そして、その相違が不快にならない程度に寄り添い、あるいは隔たっているからこそ、彼女と共に在ることが心地良いのだと認識している。
「何があったかは知る気もないし、聞いたところでどうせわからない。いつもなら、放っておくんだが」
 聞いてほしいというなら聞くだけのゆとりはあるし、ある程度の理解もできるだろう。だが、共有はできない。いや、してはならないだろうと思う。共有するということは、彼らの抱える重みを、自分の物差しで定義しなおすということだ。同じ時間を過ごしたならともかく、何もかもが違う条件にしか立てないというのに、彼らの抱える思いを正しく量れるとはとても思えない。
「命が懸るかもしれない関わり方をする以上、中途半端でいられるのは迷惑だ」
 だから、知盛は自分にできることだけを行動に移す。わからないことをわかるとは言わない。見えないものを見ようとも思わない。ただし、わかることは共有し、見えたものには遠慮容赦をしない。

back --- next

Fin.

back to うつろな揺り籠 index

http://mugetsunoyo.yomibitoshirazu.com/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。