朔夜のうさぎは夢を見る

存在を許されなかった希求

 どうせ外に出るなら、コンビニに行って飲み物を仕入れてこようということになった。何を話していいかもわからず、逡巡と葛藤を痛いほどに振りまく将臣と並んでほぼ無言で歩いたのが往路。
 コンビニの商品棚を前に酒の好みを語り合い、すれ違うばかりの銀色の影が重なった。それを皮切りにしてぽろぽろと心が零れはじめ、そして復路は遠回りをすることにした。
 いきなり自分のことを話すのは難しかろうと、先に振ってみたのは同じ“平”の名を冠している青年の話題。彼もまた、将臣と同様にと知盛に対してぎこちなさが拭い切れていない。それについての見解は、深い情愛を篭めてそっと差し伸べられた。だから、次にはもう一歩奥へと踏み込んでみる。
「じゃあ、あなたはどうなの?」
 変に詰問調子にならないよう気をつけながら、けれど逃げられないように言葉を選んで、問う。それに対してほろ苦く笑った横顔には、なぜだか郷愁が滲んでいる。そして、切なさと郷愁で塗り込められた声が、ただ静かに彼が身を浸した時間を紡ぎあげる。


 将臣と“知盛”の関係を聞き、は黙って胸を痛めていた。
 将臣の負った傷は、無理からぬ傷だと感じる。幻影を被せられることへの苦痛は、思い知った。その中で己を保つことの強さを、思い知らされた。
 にとって、今回の一件はあくまで“非日常”だ。関わると決めたからには確かに生活の一部に組み込まれているが、それでも、が“彼らの知らない”である日常はきちんといつも通りに機能していて、何の変化も齎されていない。だが、将臣にとっては“将臣”としての存在が許される時間こそが“非日常”であり、その枢軸のひとつが“知盛”の存在だったのだろう。
 幻想に押し潰されそうな日々の中で、自分はここにいると叫べる相手。自分を認識して、自分を“自分”でいさせてくれる相手。その相手が、由縁は違えど殻を脱ぎ捨てる場所として定めていた、唯一の拠り所。
 ああ、なるほど。それは確かに重かろう。アイデンティティの維持のために不可欠だった相手の、己と同じ苦痛と安寧の象徴。追い詰められれば追い詰められるほど、救いの手が持つ意味は重くなる。聞き知っただけでも、は将臣にとっての“知盛”と“胡蝶”の重さを、嫌というほどに思ってしまう。


「悪いとは、思ってるんだ」
 ぶらぶらと深夜の街をさまよいながら紡がれる言葉が、思いごと凍りついて道に落ちてしまえばいいと思った。
 自分も知盛も悪くない。でも、将臣も悪くない。もちろん、将臣の知っている“知盛”と“胡蝶”も悪くない。誰も悪くないのに、彼らの優しさと、彼らが精一杯の優しさを差し伸べたいと欲した将臣の優しさの正しさゆえに、こうして傷が今なお膿み続けている。
「俺がやってるのは、俺がずっとやめてほしいって思ってたことと、同じことだ。俺は結局、自分がやりたかったことのために、逆にその境遇を利用した。でも、アンタ達は違うもんな」
 ただ迷惑なだけだって、わかってる。わかってるけど、やめられない。
「……ホント、情けねぇ話だ。ずっと、わかってるつもりになってたけど、今になってようやく思い知った。――違うってわかっていても、重なるのは、止められないんだ」


 いつしか足は止まっており、振り絞るような慟哭の残響が切なく肩を震わせていた。根の深い。そう思い、自分が話すよりも先にをクッションにしようと判断したらしい知盛の人選の確かさに、ひそかに感心の息を内心で吐き出す。
 ある程度の膿出しはできただろう。自覚があるのなら、背を押してやりさえすればきっと、将臣は知盛とも対峙できる。それに足る強さと誠実さがあることは、存分に察せた。だが、このまま戻るには、二人の間で共有されたものが重すぎる。何かしら、空気を切り替えるためのイベントが必要だろう。
 口実になりそうなものはないかと、ふと視線を持ち上げた先にはぼんやりと夜空に浮かぶ尖塔がある。
「教会?」
 ぽつりと、意図せず落ちた独り言に、将臣が「そうみたいだな」と律儀に応じた。
「知らなかったわ。こんなところに、教会があったのね」
「行ってみるか? せっかくの聖夜だし」
 あえて軽やかな口調で誘ってくれるということは、きっと将臣も同じことを考えているのだろう。器用にはなれないが、愚鈍というには少しばかり聡過ぎるのはどうやらお互い様らしい。へにゃりと笑いあい、さほど距離もないだろう寄り道のため、予定外の路地へと踏み入る。

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Fin.

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