朔夜のうさぎは夢を見る

触れられない未来の記憶

 あの日、あの場に降り立った影は輪廻の向こうに救いがあると言った。その救いが目の前に現れたのかと思ったのに、当人からは否定の言葉しか紡がれない。真実を知るための手がかりは、もはや人の世の理から外れた時間を生きる神に問うしか残されていなかったが、そこで否定されてしまう可能性を思えば、問うに問えなかったのだ。
 ひゅっと息を呑む音が重なり、気遣わしげな視線が俯いている将臣にそっと向けられる。それでも、一度宙に放たれた言葉は取り返せない。そして、白龍は人の心の機微を気遣って嘘をつくことなどできない存在。
「わからない」
 だというのに、与えられたのは聞き覚えのある言葉だった。はっと顔を上げた将臣の縋るような視線を受けて表情を歪めはしたものの、白龍は首を横に振るばかり。
「わからない。龍脈が乱れているからなのかもしれないけれど、あの二人の魂は、揺らぐばかりで定まらないんだ。同じに思う時もあるし、違うように視える時もある」
「魂が揺らぐ? そんなこと、ありえるのかい?」
「徒人は、ありえないよ。でも、あの二人と、」
 謎めいた言葉に首を傾げながらヒノエがさらに畳みかければ、それこそ苦しそうに眉根を引き絞り、白龍は喘ぐように告げる。
「あなた方は、揺らいでいるんだ」


 告げられた言葉に、居合わせる面々が示せる反応は困惑だけ。もともと人の言葉に慣れていない白龍との会話は意味が捉えにくいものが多いが、これほど謎に満ちているのは初めてである。これが人と神との相容れなさなのかと、ぼんやり自意識の底に沈んでしまっていたヒノエが、だからリズヴァーンの小さな緊張に気付かなかったのは無理のないことだった。
 もっとも、それに気付いた者などその場にはいなかった。気づいたのではなくて、知っていたものは恐らく発言者である白龍。けれど、神は知ったそれを声高に指摘することをしない。その時期ではないだろうし、それをするには、あまりにも人の感情というものに身を浸し過ぎてしまっていた。
「じゃあ、が揮ったアレは、オレ達の知ってる“”の受けていた加護の名残ってことかい?」
 ふと最初の疑問に立ちかえったヒノエの言葉に視線を投げ返し、惑いながらも白龍は肯定を与える。
「因果はわからない。でも、アレが何であるのかと、その事実を聞いているのなら、そういうことだよ」
「じゃあ、その上でもう一度聞くよ。――アレは、何だい?」
 いつまでたっても核心に触れようとしない白龍に、ヒノエはごまかすなと再度問いを突き付ける。自分達には知る権利があるだろう。彼らに関わる義務があったように。そして、知らねばなるまい。彼らに郷愁を押しつけてしまうその源流とも言えるだろううちの一滴は、間違いなくあの蒼い焔なのだから。


 禍々しさとは真逆の、しかし純然たる恐怖を掻き立てられる道標の正体がそれであることは、察するまでもなかった。怨霊との遭遇は、いつでも現し世から切り離された不可思議な空間で発生する。その空間に踏み込まないように、と気を遣うことはできない。ただ、引きずりこむべき相手を知っているとでもいうかのように、非日常への入り口がそこかしこで目に見えない穴をぽっかりと開けて、待ち構えている。
 降って湧いた気配を探ることは可能でも、拭い去られた気配を追うことは不可能だ。よって、連絡のつかなくなってしまったを探り当てた時、すべては片付いた後だった。恐らくは怨霊を灼き払ったのだろう焔の残滓が、ちろちろと足元で燻ぶっているだけ。それさえも、彼らが手の届く範囲にまで踏み込むのを見届けたように、音もなく霧散したのだ。
 正体はわからない。それでも、が身を守るために操っていたとしか思えないのは、無理のないことだろう。
「なにものにも抗えない、力。原初の罪にして、永劫の懺悔。末期の慈悲」
 ゆらと謡いあげられた言葉は、いつものごとく要領をえない。
「神をも殺す、意思」
 伏せられた睫毛の向こうにけぶるのは、恐怖か、憐憫か。
「加護のないままに、あの焔に触れることはできない。そして、はまったき加護には守られていない。だから、私にはどうして達をあの焔が守ったのか、わからない」
「それも含めて、魂の揺らぎ、と?」
「そうなのかもしれない。でも、違うのかもしれない」
 苦しげに、悲しげに、白龍は声を絞る。
「ただ、加護のない身にアレは毒にしかならないよ。もし、アレがの魂に息づいているのだとしたら」
 早く取り除かないと、いつか、の魂はアレに焼かれてしまうんだ。

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Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。