朔夜のうさぎは夢を見る

触れられない未来の記憶

 リビングで待ち構えていた一同は、足音も小さく戻ってきた弁慶が小さく微笑むのを見て、まずは息を吐き出していた。から望美に連絡が入った時、あいにく彼らは折悪くふらりとどこかに行ってしまった望美を探して四方に散らばっていたのだ。その望美の意識を叩き起こし、自主的に八葉に連絡を取らせてくれたという点ではおおいに助かったのだが、場所も告げずに応答がなくなったという達を探す手間は、結局似たようなものだった。
 大学があるならばともかく、当人から冬休みに入ると聞いたボーダーは突破済み。鎌倉にいるということは推測できるのだが、範囲は決して狭くない。漏れ聞こえた状況からして、怨霊と遭遇していることは確実。それだけを手掛かりに散開しなおすかと連絡を取り合っていたのだが、おぞましいほどの道標が降り立った。
 それをいち早く察知したのは白龍だったが、遅からず全員が知ったのは当然だろう。あまりにも、あまりにも強大過ぎる純然たる力の塊。いまだに、背筋を凍らせた感覚が完全に払拭されたとはいえない。
 心得た譲から蒸しタオルを受け取り、いったんはそれを届けるために席を外した弁慶だったが、戻ってくるまでに要する時間はわずかなもの。そして、ずっとわだかまっていたそれぞれの思いを、ようやく擦り合わせるに至る。


「まずは、現状を整理してしまいましょう」
 淹れたての茶に息を吐き出し、口火を切ったのはこうした場を仕切るのに慣れている弁慶だった。
「アレについて、将臣くんは何か知っていますか?」
「知らねぇ」
 もっとも、問答は即座に終結をみる。困りましたね、と。ちっとも困った風はなく呟くのは、それがどうしようもない事実であることを困惑する将臣の表情が語っているから。そして場に居合わせる誰もが、知らないながらも弁慶が“アレ”と表した存在に思い当たる節があったからだ。
「でも、アレはやっぱり、あの時の焔だろう? あんなに特異な気配、そう簡単に間違えはしない」
「そうだね。でも、そうなるとあの二人は……」
 気を取り直したようにヒノエが問答を再開させ、引き継いだ景時が言葉尻を曖昧にごまかしてきゅっと眉根を寄せる。
「目を逸らしても何にもならないよ。確かめるべきだと、オレは思うけど?」
「けど、アイツは違うって言ってたし、俺のこともまったく覚えてねぇし」
「あの時は、ね。今は違うかもしれないじゃん」
 絞り出すようにして紡がれた将臣のか細い声をヒノエはあっさりと一蹴し、そして表情を引き締める。


 鋭い視線が向いた先は、複雑な表情でじっと床を見つめている白龍だった。
「なあ、白龍。教えてくれ」
 穏やかな響きの、けれど容赦のない声。
「お前は、アレが何なのかを知っているんじゃないかい?」
 逃げることもごまかすことも許さないと雄弁に語る眼光に、視線を持ち上げた白龍は怯えたように表情を歪める。
「迷宮には入れるようになった。だっていうのに、怨霊は外に溢れるし、龍脈は乱れたまま。このままじゃ、何も解決しない」
 オレは、戻らないといけないんだ。わかるだろう。厳粛な声こそがまるで神のそれのようで、対峙する白龍は断罪を待つ信徒のよう。矛盾した比喩が脳裏をかすめた弁慶は、それでもあくまでヒノエの叔父であり、彼に対して絶対的に怯えることのない立場にある。
「ヒノエ、あまり畳みかけては、白龍が口を開く隙がなくなってしまいますよ」
 穏やかに、いっそのんびりした風情で言葉を挟めば、ほっとしたような神の瞳と恨めしそうな人の瞳が振り返る。もっとも、そんな短期的な評価を与えられて満足する弁慶ではない。
「さあ、白龍。ヒノエはしばらく口を噤んでくれるそうです。どうか、教えてはもらえませんか?」
 まるで奈落に叩き落されたような絶望は、神には似つかわしくないものだというのに。

 言葉を探すように、救いを求めるように。視線を揺らした白龍は、やがて諦めたように深々と息を吐き出した。落とされたその息には諦めと、そして何が詰め込まれているのだろう。
「私にも、よくはわからない。私は神であって神そのものではないから、神の理のすべては、わからないんだ」
「それは、和議の後に神泉苑で言われたことですね?」
「うん。と知盛はあの神の加護を受けていたから、その名残なのかもしれないけれど」
「名残?」
 途中まではついていけたものの、最後の一言で置き去りにされたヒノエが復唱すれば、白龍は透明な瞳でそっと顎を引く。
「今の二人は、加護を受けているそのものの魂ではないよ。残滓は感じる。でも、違う」
「……和議の日にお会いしたお二人とは、別人ということかな?」
 触れることを恐れるように景時が差し向けた問いは、誰もが問いたくて、けれど知りたくなくてずっと目を逸らし続けてきた疑問だった。

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Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。