記憶にいない君との思い出
何を言えばいいのか。どう言えばいいのか。なんだかすべてがぐちゃぐちゃに絡まってしまい、言葉を選び出すことができない。重苦しいのとも違う不可思議な沈黙の中を、缶を開ける呑気な音がゆるりと通り過ぎていく。
「あれから、“夢”は何か見たかい?」
唐突な問いかけは、それまでの話題をさっぱり無視した実に事務的かつ実利的な内容だった。慌てて思考を切り替え、問われた意図を探る。この場合、“夢”はただの夢ではない。
「はっきりはしないんだけど」
「構わないよ。どんな夢?」
「……大きくなったわ。何かを呑んだの」
そして、恐怖が肥大化した。ぞくぞくと背筋を走り抜ける冷たい予感に、このところ睡眠は浅くなるばかり。野放しにしてはいけない。アレは、焼き滅ぼさなければならないのに。
脈絡なく浮かんだ発想は切実であり、真摯であり、根拠が読めなかった。ゆえに告げるべきか告げざるべきかを迷っていたというのに、こうもあっさり当てられてしまうとは。
「ふぅん。なるほどね」
「そっちは何かあったの?」
「いいや? 不気味なほどに何もないよ。ただ、気になる知らせがあってね」
剣呑に双眸を眇めると、そこには見目麗しい少年ではなく、一人の戦士が現れる。阿修羅神とは彼のような姿をしているのだろうかと、そんなことさえ思わせるほどに。
舌を湿らせて、ヒノエはどこか遠くを見遣りながら朗と言葉を紡ぐ。
「ひとつは、八幡宮の扉だ。あれから改めて調べてみたんだけど、びくともしない」
「開かずの扉、ってところかしら」
嫌味な物言いだと思いつつも感想を素直に告げれば、楽しげな声が「まったくね」と軽やかに同調する。
「とにかく、様子見だ。何があるかもわからないし、景時が目くらましの結界をかけ直してる」
「了解。他は?」
「佐助稲荷」
そこまでは、望美とのメールの遣り取りでもある程度状況を把握している。最新の情報を共有したところで続きを促せば、いくばくか硬さを帯びた声が紡ぐのはにとっても記憶に新しい地名。
「落雷のニュース?」
「本当に、あの日は雷が落ちるような天気だったかい?」
冷やりと切り返されても、それこそわかりようがない。ニュースでも確かにその点には言及していたが、原因不明である以上のことなどは知らない。
「でも、他に何か要因が?」
「さぁね。一応調べたヤツがいるんだけど、オレ達にも何もわからない。けど、ただの偶然で片付けるよりは、気に留めておく方が賢明だ」
勘を嫌な方に刺激する何がしかがあるのだろう。歪められた横顔はその苦渋の色さえ美しくて、小さく同意を返しながらはそっと睫毛を上下させる。
あともうひとつ。そう告げたまま、しかしヒノエがその先を言葉にすることはなかった。鳴り響くのは着信音の二重奏。互いに目を見合わせ、どちらからともなく己の携帯を取り出して耳に押し当てる。
「もしもし?」
『あ、さん! 今、大丈夫ですか?』
「ええ、大丈夫。何があったの?」
着信は望美から。どこかを走りながらかけているのだろう。リズミカルな息遣いの向こうで、興奮気味の声が織り上げられる。
『あの扉が開いたみたいなんです。今、みんなで向かっているところで』
「わたしも、行けばいいのね?」
立ち上がりながらちらと視線を向ければ、ヒノエも同じ内容だったのだろう。力強く頷き、やはり走り出しながら通話口に了解の意を吹き込む。
『知盛にも連絡はしています。とにかく、気をつけて着てください』
「ヒノエくんと一緒だから、大丈夫」
『じゃあ安心ですね。また後で!』
ぷつりと途切れた会話を最後に折り畳んだ携帯を鞄に放り込み、踵を鳴らして駆け抜ける。
「ヒノエくん、最後のひとつは?」
速度をに合わせてくれているのだろう。いったんは引き剥がされた距離を詰めて背中に追いつき、は真剣な横顔を仰ぎながら気がかりを片づけておくことにする。
「あの時、知盛が使った小太刀だけど」
は息を切らせながらだというのに、ヒノエは言葉をなめらかに紡ぐ。その謡うような口調のまま、妙な部分で時代の違いというか、住んでいる世界の違いを思い知らされた気がして感心してしまった呑気な脳髄を、氷水で冷めさせるような言葉が届けられた。
Fin.