記憶にいない君との思い出
もっとも、巻き込まれることを決めたところで、今すぐにできることなどありはしない。何ができるかもわからないのに、何をしようというのか。とにもかくにもということで連絡先を交換し、今日はここまでにしよう、というのが至った結論だった。
「後味は良くないだろうけど、こっちも混乱しててね」
悪いね、と。からりと笑ってくれたのはヒノエだった。関わるからには知っておいた方がいいことも、知っておかなくてはならないことも、今日はもう無理だろうと言い出したのもヒノエ。陽気さの向こうで瞬いた気遣わしげな視線がちらと見やったのは、知盛がきっぱりと否定をつきつけてからこちら、沈んだ表情から立ち直れずにいる将臣。
「いいえ。こちらこそ、今日聞いたことだけでもちゃんと理解する時間が欲しいし」
「賢明だと思うよ」
「何か進展があったら、連絡します」
「ええ。こちらも、都合のつく日を後で纏めてメールしておくわね」
そっと言い添えてくれたのはアドレス交換をした携帯をちょこちょこといじっていた望美であり、頷くはその背後にちらと流された不安げな視線に、苦笑を殺せない。
「じゃあ、失礼します」
「はい。ありがとうございました」
「またね、姫君。そう遠からず」
駅まで見送ろうかとの申し出は、丁重に断ってある。玄関先までぞろぞろと出てきてくれた異色の集団にぺこりと会釈を残し、踏み出すのはすっかり日の暮れてしまった住宅街。いつの間にか隣を行く知盛との距離は、いつも通り。
いかにも意味深げだったヒノエの言葉に、いったい何を思ったのか。知盛もまた渋々と、この不可思議な非日常に巻き込まれることを認めていた。自分のせいで巻き込んだのだろうという確信は、申し訳なさと同時にそれは傲慢な考えではないかとの葛藤を生む。そして、今日のようなことが繰り返されたらどうしようという、底抜けの恐怖を。
「ねえ、平良くん」
迷いと葛藤を積み上げて、ついには足を止めた。気づいて半歩先で足を止めて振り返ってくれた無表情は、きゅっと眉根を寄せ、不機嫌そうに瞳を眇める。
「………名前」
ああ、本当にどうしようもなく優しい人。関係のない、他愛のない日常を持ち出すことで綻びをそっと覆い隠し、やわらにやわらに、を包んでくれる。
「知盛くん」
慈しみを篭めて名を紡ぎ直し、その双眸に視点を合わせれば、揺るぎ無く見返してくれる。
「決めたことを覆すような人じゃないってことは、わかっているつもりよ。だから、お願い。どんな答えでもわたしは大丈夫だから、教えて」
まばたくだけで先を促され、は後ろ手に持ったハンドバックを必要以上の力できつく握りしめる。
「あなたが関わるのは、わたしが原因?」
責めも詰りもしない人だということも知っているけれど、責められるべきと、詰られるべきと、その線引きだけは明確にしておきたかった。明確にして、だから何ができるというわけでもないのだけれど。
街灯に冷たく照らされた中に無造作に立っているだけなのに、ひどく美しい姿だと思った。揺るぎ無くて、揺らがなくて、磨き上げられた刃のよう。
将臣が求めていた“知盛”という人物は、どんな人だったのだろう。改めて告げた彼の名に、必死に呼吸を喘がせていた。当てはまる字は違うのかもしれない。それでも、すべての音に対して、彼が狂おしいほどの郷愁を掻きたてられたのは確かなようだった。だが、それが知盛が関わる要因としては可能性が低いだろうことも、知っている。
「否定はしないが、な。それがすべてでもない」
溜め息交じりの返答には、中途半端な同情など微塵も孕まれていなかった。
「刀が現れたのは、別にお前が何かをしたわけじゃないんだろう?」
「うん」
「なら、お前のせいじゃない」
声は平板だったが、忌々しげに歪められて腰許に落とされた視線はまるで灼熱。
「“平良”は“平”をカムフラージュするための当て字だそうだ。……あの連中が源平合戦の立役者だというなら、俺はそもそも、無関係ではありえなかった」
ついと空中を踊った指先の描いた文字を読みとり、初めて知った思いがけない豆知識には目をしばたかせる。血のしがらみを気にかけるなど、この男からは最も縁遠い事象かと思ったのだが、そうではなかったのだろうか。
「がんじがらめになる可能性があるなら、自分から飛び込む方がよほどマシ」
それだけのことだ。気負った風などなくあっさりと言い放つ姿に、なぜか八幡宮で刀を振るっていた姿が重なる。その揺るぎ無さこそが怖いのだとは、告げることなどできようはずもなかった。
Fin.