それはいつか
難しい貌をして部屋に篭もっている様子がさすがに憐れになって遠駆けに誘ってみたのだが、どうやらそれでは物足りなかったらしい。なんとなく、特に示し合わせたわけではないが馬の運動のためによく訪れる原っぱに辿り着いて草原に腰を下ろしたきり、将臣はやはりむっつりと黙って何かを考え込んでいる。
このまま腰を下ろせば、きっと邸の女房の仕事がひとつ増えてしまう。この寒い中、水仕事を増やすのは酷であろう。
「兄上に、何か言われましたか?」
しかし、逡巡は瞬くほどの間に過ぎ去っていった。物事の真髄を見誤ってはいけない。今日の遠駆けの目的を忘れていない重衡は、将臣の隣にゆるりと腰を落ち着け、視界の端で俯きがちな顔の表情を観察しながらそっと言葉を紡ぐ。
「……なんで知盛限定なんだ?」
「先日より、将臣殿と兄上は、いささかお変わりになられました」
恨みがましげに苦しい反論を紡いだ時の強がりはどこへやら。さらりと切り返した重衡の推論に、将臣はあからさまに肩を揺らす。
「なんと申しましょうか。将臣殿の中で迷いが振り切れ、兄上がそれを許容なさったようにお見受けいたします」
「………と、思ったんだけどな」
なんだろうな。俺、何をしたんだろうな、と。重衡の推理をあっさり認め、さらにその後から何事かがあったのだと雄弁に語る声音と表情で、ますます落ちる肩がなんだか微笑ましい。
しかし、将臣にはこれ以上の詳細を語るつもりはないらしい。黙ってじっと地面を睨んでいる横顔は頑ななまでに唇を引き結んでいる。
とはいえ、重衡とてだてに宮中を渡り歩いているわけではないのだ。何も言葉ばかりが意思疎通の手段ではないし、当人が何を語らずとも噂が立つのは、そういう絡操。表情も、目線も、声音も、挙動も。わずかな手掛かりを繋ぎ合わせて状況を読み解くのは、むしろ得意な方だ。
「そうですね。いったい何があったのかは存じませんが、僭越ながら私からご助言申し上げるとするならば」
将臣はきっと気づいていないのだろうが、傍から見ていれば嫌というほどよくわかる。関わった一門の誰もに愛されるこの青年は、もちろん平家一門を愛しているが、中でも兄を敬愛しているのだ。信頼し、尊敬し、心を丸ごと明け渡していると言っても過言ではなかろう。
元より見られていた傾向が、兄と入れ替わりに美濃へと赴き、戻ってみればさらに拍車がかかっていた。そして兄は、こうもあからさまに己を慕う年下の青年を、理由もなく無碍になどしない。それは、生まれてからずっと彼の弟として生きてきた重衡こそが、自信をもって断言できること。
「もし、兄上と何らかの約束を結ばれることがありましたなら、それを裏切ってはなりませんよ」
特に、言の葉にして明確に結ばれたのなら、直のこと。そう念を押してみれば、弾かれたように振り返った紺碧の双眸が、過ぎるほどにわかりやすく「なぜわかったのか」と訴えてくる。もっとも、重衡には答える義理などない。なにせ、兄と将臣との間で何があったのか、本当にまったく知らないのだから。
「約束を守ることが不安になったとして、それを兄上に訴えるのは構いません。ですが、裏切ることだけはなりません」
行動も、言葉も、志でさえも。不安そうに顰められていた眉が跳ね上がり、かと思えばあっという間に眉尻を落とす。どうやら、心当たりがあったのだろう。頭を抱えて悩みはじめてしまった様子を横目に、重衡は小さく微笑む。
どうか気づいて。たとえ意図せぬその裏切りを察したとしても、無言で切り捨てるのではなく言葉にして伝えてもらえたのなら、それは兄からの最上の愛情表現なのだと。
言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。