それはいつか
何かを言いかけて口を噤む。何かを思いついた風情で、ふと遠くを見やる。何かを懐かしむように背中から見つめるくせに、振り返る頃には視線が逸らされている。
何度も何度も繰り返されれば、日ごろ、弁慶や景時からにぶい、にぶいと言われる九郎とて気づく。というより、彼女のあの行動に気づいていないものなど、少なくとも自分達八葉と、黒龍の神子と、白き龍神の化身の中にはいないことを確信している。
わけがわからないと苛立っていたのは、はじめのうちだけ。決して長々と時間を共にしたわけではないが、短い中でもそれなり以上の頻度で見せつけられれば、慣れるのが人間の性。
望美と譲が宇治川の河原に降り立った頃、大地を覆っていた雪はとっくに溶けて大海へと注いでいるだろう。じいじいとせわしなく叫ぶ蝉の声を頭上の四方から浴びて、九郎は意味もなく空を仰ぐ。
高くそびえた木々の梢に遮られて、降り注ぐ陽光はさほど多くもない。おかげで地面から立ち上る熱気もそれなりに遮られているのだろう。内地にありながら近隣を川と池とに囲まれた京にいるような、あの、肌に纏いついて離れない暑さはないが、磯の香りを乗せた風はいささかべとつく。前髪をかきあげついでに額の汗を拭い、青々と茂る緑葉の向こうの碧空に向かって溜め息をひとつ。これは、そう。休みなく歩き続けたがゆえの疲れに起因するもの。決して、決して内心の苛立ちを乗せた溜め息ではない。
譲は、熊野に詣でたことはないと言っていた。しかし、彼らの世界にあるという不可思議な道具を通じて、――それは遠く離れた地、たとえ踏み入ったことのない場所であっても、どのような景色で、どのような音に溢れているのかを映し出す箱なのだそうだが――、見たことならばあると言っていた。それでも、彼らにとって、個々熊野の地が栄えていたのは遥かに過去のことであるらしい。今なお面影は残すものの、これほどに見事な森はもう残っておらず、これほどの霊験あらたかで厳かな気配は喪われてしまったであろうと、感慨深げに語っていた。
だから、譲が興味深げに、あるいは感嘆の声と共に、周囲に目をやりつつ進む姿は、物見遊山ではないとの小言を九郎の腹の奥に押し込めてしまうほど微笑ましく、かけがえのないものであった。
三草山では初陣だというのに、持って生まれた弓の才か、実に見事な立ち回りを見せてくれている。きっと、賊や怨霊が現れればすぐにも気を引き締めよう。なぜなら彼は周囲に気取られつつも、決して腑抜けた様子ではないのだから。
最初から完璧な兵などいない。きっと譲は、鍛えれば優秀な弓兵として成長するだろう。習い性となるという言葉を、きっとあの青年は、心の深いところで察している。
だが、一方のあの娘はどうだ。
譲と同じ世界から来たというのに、三草山が初陣だと言っていたのに、刀など握ったことはないと聞いていたのに。歴戦の猛者と称してもなんら遜色のない動きを見せ、九郎の策を軽々と凌駕してさらなる戦功をあげてみせる。彼女が口でなんと言おうと、何に対して口を閉ざそうと、すべてはその足捌きが、体捌きが、剣捌きが雄弁に語る。彼女は九郎達と同じような時間を踏破して、同じものを習い性としているのだと。
だというのに望美にはその自覚がない。口を噤めば、目を逸らせば、その拙い嘘が覆い隠されると信じている。誰も指摘しないのは、誰も気づいていないのだと、傲慢にも思い込み疑いもしない。だから、行動のすべてに現れる、その嘘を露呈させる習い性を隠そうともしていない。
それなりに体を鍛えているだろうに息の上がっている譲を尻目に、九郎でさえやや歩調を落とした山道をなんでもないように進むのは、彼女がこの道を歩くことに慣れているから。訪れたことなど、ないと言っていたのに。
いっそ、暴いてやろうかとも思う。けれど、それは無駄だろうと悟ってしまうから、九郎は口を噤む。なくて七癖。習い性になってしまった己の行動は、指摘されても見えないのだ、どうせ。
行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。