朔夜のうさぎは夢を見る

果て無き懺悔

 終わるわけがない。それが答えだった。同時に、それを彼に返せないのも、答えだった。
 だって彼は、悔いてはいても責めてはいなかった。お前が無事でよかった。そう囁かれた声がひたすらの安堵に濡れているのを、聞いていた。そう囁いて抱きしめる腕が、ひたすらの安堵に震えているのを、感じていた。
 彼は、その存在ゆえに果て知らぬ悲哀と後悔に苛まされていて、けれど決して周囲を責めようとはしなかった。彼を呼んだ声のすべてを守れることが嬉しいのだと、言って、その矛盾を悔やみ続けていた。
「もう、終わらせてしまえ」
 呼ばなければ、彼は還ってこなかった。眠らせて欲しいと、きっと誰よりもそう願ったことだろう。陰陽術の類を扱えるということは、徒人よりもよほど世界の理に通じているということ。なればこそ、力の均衡を重んじ、力の種別による住み分けを重んじ、背中合わせに存在するべきものが混じりあうことを厭うていたのに。
「俺も、終わる。そしてお前は、還る。――だから、終わらせてしまえ」
 仮面越しに視線が絡み、そしてやわらかな微笑みが視界の奥で滲む。その最後のやさしさを嬉しいと感じる心こそが、その底抜けのやさしさに甘えてはいけないと叫んでいるのだ。


 戦場にあってあまりにもらしからぬ時間は、けれどそこまでだった。ぐんぐんと距離を縮めてくる気配にはっとが視線を跳ね上げると、知盛もまた心得たように背後を振り返る。
「ようこそ参られた、源氏の神子殿」
 吊り上げられた口の端が愉悦に滲み、淡くほどけていた存在感が急激に引き絞られていく。この赤間関において、誰よりも強く平家の存在を体現する男が、鮮やかにその姿を誇示する。
「還内府はどこ!?」
「どう見ても、ここには俺と、月天将殿しかおらんだろう? ……この期に及んでまで、他の男の名を口にするなど……神子殿は、随分とつれないな」
「冗談に付き合うつもりはないの! 還内府はどこなのっ!?」
「………そんなに還内府殿にお会いしたいのなら、力ずくで、聞き出すんだな」
 言いながら鞘から小太刀を引き抜き、知盛はにちらと目線を送ってからゆったりとした挙措で神子一行に向き直る。
「こちらからは、俺がお相手しよう。お前達は、どうする? 宴の客は、多い分には歓迎するが」
「知盛殿お一人で、我々を相手取ると?」
「俺だけでは、ご不満か?」
 どう考えても生田での揮った力を警戒してだろう外套の青年の言葉に、知盛はくつくつと意味深げに笑い返す。
「案ずるな。あれは、一騎打ちを邪魔しようとしたお前達への意趣返し……俺が招いているのに、なぜ月天将殿が邪魔立てをなさるのだ?」


「……敦盛くんと朔殿、譲くん、先生は彼女を警戒していてください。知盛殿は、僕達でお相手しましょう」
「そうだな、それが妥当だ。望美も、良いな?」
「うん」
 暫しの思案の後、外套の男が告げた陣形に、神子の隣に立っていた太刀を佩いた男が頷き、そして神子も了承を返す。本当に何をするつもりもないのにと、思いはするが、あえて口をはさむ必要もあるまい。邪魔にならないよう脇に避け、鞘に納めたままの刀の柄に手をかけようともせず、は傍観の姿勢を貫く。
「さあ、はじめようか」
 なすべきことは、この決戦の向こうにある。知っていればこそ、今にも飛び出したい衝動を抑え、は静かに終焉を目に焼き付けることを選択する。


 神子は強かった。八葉も強かった。ただ、誤算があったとすればせっかく五行にのっとった術を使えるというのに、相克の八葉を前面に配備しなかったことだ。知盛が纏い、揮うその根源は水の気。あえて火の気を持つ八葉を最前線に出してくるなど、それは愚の骨頂としか言いようがない。
 もっとも、それでもなお、神子達は強かったのだ。


 警戒もあらわにじっと見やってくる八葉の面々にはまるで注意を払わず、は余すことなく知盛の選んだ終着地点を見つめていた。いくら知盛が平家においてずば抜けた強さを誇っていても、多勢に無勢では分が悪い。
 確実に傷が増え、気力が削がれ、徐々に徐々に、勝敗の行方が明確になっていく。
「たぁッ!!」
「ぐぅ……ッ!!」
 踏み込み、一撃を振るう神子の両刃剣についに知盛が膝を折る。呻き声と共に唇の端から血が溢れ、喘鳴がうるさくこだまする。ただではやられるかと振り切られた小太刀は神子の装束の袖を切り裂いたが、神子の刃は知盛の肩を深く抉っていた。
 ぱたぱたっ、と、舟の底板に血の滴る音が響く。


 もはや抵抗などろくにできないだろうが、そこはこれまで両軍に鬼神と、軍神と恐れられた男。神子は油断など微塵も見せずに素早く間合いを取り直し、じっと刀を構えてその動向を見やっている。
「く、くくっ……」
 その視線の先で、知盛は膝を折り俯き、右手に握った小太刀を底板に突き刺して上半身の支えにしながら、笑った。
「はははっ!」
「何がおかしいのよ」
「妙なことを言う。お前がかほどの使い手であったことに決まっているだろう? この上ない僥倖だと、それが嬉しいのさ」
 ゆらりと立ち上がり、喉を鳴らしたまま神子をひたと見据え、知盛は心底楽しそうに続ける。
「平家は滅びる……お前ほどの使い手の剣で、武門としての誇りを確信して、だ」
 流れる血は止まる気配もない。あっという間に足元に血溜まりが広がっていくが、知盛は気にした素振りもない。恍惚とした表情で、満足そうに水平線を睥睨する。
「武家の滅びとしては、理想的な美しさじゃあないか」

Fin.

back --- next

back to 空の果てる場所 index
http://crescent.mistymoon.michikusa.jp/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。