翳す刃
細腕も軽装も何のその。神子は強かった。何の含みもなく、は少女の見事な剣捌きに息を詰める。知盛に若干の加減の気配も伺えるが、同時に少女にもまだ余力が残されている。
斥候の報告によれば、彼女は福原を攻めたその足でこちらへと赴いているはずだ。疲労をろくに感じさせず、平家でも随一の使い手である知盛と対等に渡り合うとは、一体どれほどの使い手であることか。
息を呑んでいるのは、両軍の兵も同様であった。誰もが手出しなどできようはずもなく見守るところに、そして駆け寄ってくる気配がある。
「先輩ッ!?」
「あれほど突出するなと言ったのに……!」
装いも様々な、いかにもまとまりのない集団だ。声を上げたのは、眼鏡をかけた青年と太刀を握る青年。先輩、と。この世界には存在しないはずの呼称に、は確信する。では、彼もまた彼女と同様、ここではない世界からの客人なのだ。
知盛の邪魔にならないよう下がった先で、背後に控えているはずの兵には低く呟く。
「弓を」
「はっ」
それまで抜き身で携えていた剣を腰の鞘に納め、代わりに伸べた手に触れた弓の握りをぐっと掴む。戦場では滅多に弓など引かないため、弓懸はないが、いくばくかならば耐えられるだろう。主な目的は、この一騎打ちに下手に手出しをさせないための牽制なのだ。
同じく差し出されていた矢筒から適当に二本をはさみ取り、勝手なことを言いながら気の流れを練り上げている青年達の横に落ちるよう計算して、高く上空へと狙いを定める。彼女が神子だというなら、では彼らが伝承に聞く八葉なのだろう。知盛もあの手の術を使うが、それがごく特殊な例外であることをは知っている。一般の将兵に、あのような、気を練り上げて攻撃に転じるような技術など、そう簡単に身についているはずもない。
神の寵愛を受け、この世で唯一無二の力を揮い、八葉として選ばれた者達にもすべからく神の加護と力の行使を許す。そう聞けば美しいが、翻せばそれは何よりも恐ろしい。怨霊を封じるためと、それならば良いだろう。だが、彼らは戦場にあって躊躇いもせずその力を揮おうとしている。相手の別など、判じようともせずに。
ぎり、と、矢をつまむ指が軋む。溜めは十分。ついでに、牽制のために矢に対してもまた己の身内を巡る力を纏わせる。彼らの練り上げた気を、殺せと命じて。
弦が鳴る。次いでひゅんと風を切る音が鳴り、矢は過たず狙った先へ。唐突に散らされた気に目を見開き、慌てて視線を巡らせてくる青年達に、すかさず番えた二射目の矢を引き絞りながら、真っ直ぐは殺意を向ける。
「邪魔立てするなら、神子殿を射ますよ」
「……宴の客は、歓迎する主義だぜ?」
放った声に促されるまでもなく、どうせすべてを把握していたのだろう。間合いを取った知盛が、ちらと視線を流して含み笑う。同じく間合いを取って対峙しながら、神子もまた背後に声を放つ。
「大丈夫だから、術は放たないで」
「先に仕掛けてきたのは、あちらなのですがね」
じりじりと睨み合いながら、応じた外套の青年には薄く微笑んでみせる。
「仕掛ける先を勘違いなさっておいでのようでしたので、こちらを向いていただいただけです」
自分に向けてくるならいくらでも相手取ろうと言外に言い放ち、は知盛を視界の隅に見やる。
「まだ続ける?」
「……厭いた」
ふいと、神子の問いかけにそう呟いて、知盛は両手に握る小太刀を鞘に納めてしまう。
あれほど鮮やかだった知盛の気配が、納刀と同時に森の気配に滲んで溶けはじめる。間近で感覚を圧倒し続けていた存在感が散るのに比例して、感じ取るのは対する神子と八葉の纏う気の強大さ。
あれが神子。あれが八葉。アレらが、ヒトならぬ人々。その力に抗えぬわけではないが、関わりたくない。人外の力に接する畏怖は、戦場を駆ける恐怖と同様、いつまで経っても消えるものではないのだ。
知盛の納刀を合図に、の背後に二人の愛馬が引き出されてくる。導くだけで手綱を手放し、心得たように再び下がるのは二頭が決して乗り手たる二人を置き去りにしないことを知っているから。この阿吽の呼吸が、場違いにも本当に嬉しい。自分はここにいる。ここで、彼らと共に在る。それを実感するたびに、胸に沈めた決意をさらにさらにと降り積もらせる。だからわたしは、あなた方と共に。
声もなく持ち上げられた知盛の左腕に応じて、じりじりと味方の兵が森に後退しはじめる。それに気づいた八葉と源氏の兵達が動きをみせる先に、けれどは殺気を叩き付けることで宣する。追うのなら、自分達を踏み越えて行けと。
最低限に手勢を残してあらかたの味方が森に退いたところで、はようやく矢を下ろした。すかさず寄ってきた兵が左右の手から弓と矢を回収し、下がる。
「還内府殿には、お会いしたのか?」
ついでに耳打ちされたそろそろ刻限だとの言葉に小さく顎を引き、さて引き上げようかと知盛を見やれば、何を思ったか神子に向けて唐突にそんな問いを投げかけている。
「……会ってはいないよ。でも、福原に戻ってきたのは聞いた。どうして?」
「“兄上”が御手によって討たれているなら、ただで退くわけにはいかぬだろう?」
仇討ちをせねばならぬ。そう、いかにも思わせぶりな言葉を放ってくつくつと笑い、知盛は表情を強張らせる神子に凄艶な流し目をくれる。
「だが、そうか……なれば、このまま退くとしよう」
言って迷いなく踵を返し、あっという間に黒馬に飛び乗った知盛に、も続く。
Fin.