翳す刃
知盛に並んで敵を捌きながら、はこれが将の違いかと感慨に耽る。兵の士気の高さは同じほどだろう。だが、何かが違う。決定的に、彼らには何か、惑う気配が感じられるのだ。
「気にするな」
大将首は取りたい。だが、腕が違いすぎて敵わない。幾重もの屍の垣根の只中に立つ知盛との許に挑みかかってくる兵が、ついに途絶えた。遠巻きにじりじりと見やり、次の手を模索しているらしい相手をいいことに思わず思索に神経を割いていたの胸中を見透かしたように、知盛がぽつりと言葉を落とした。
「我らと違い、源氏は身内でも喰いあうほどに、互いに対して疑心暗鬼だ」
背中に立つ揺るぎない存在感が、疑問など一片も挟まない口調で、状況を断言する。
「大方、ここを預かる将と、総大将の間に不和があるのだろうよ」
「見苦しいことですね」
「言ってくれるな」
くつくつと笑い、知盛は続ける。
「お蔭でやりやすいではないか……。烏合の衆を斬るのは、いささか厭いたが、な」
「ご辛抱を」
「わかっている」
血に酔いすぎるのは、俺も望むところではない。面倒くさそうに呟く声を背に、は一歩前に踏み出す。とはいえ、自分達がただ雑兵を斬り捨てているだけでは、戦況が動かないのだ。
「誰ぞ、名のあるものはいないのか!」
声を張れ。胸を張れ。はったりを効かせ、そして見せつけてやれ。敵に、味方に、その勇壮なる姿を余すことなく。受けた教えを忠実に踏襲し、の詰めた分、無意識に後ずさる敵兵をぐるりと睥睨する。
「月天将の首を取らんと挑む、剛の者はいないのか!?」
いつしかその身を彩るようになった名は、ざわめきを齎すには十分な効果を持っていたらしい。目の色が変わり、けれど誰も踏み出してこない葛藤の空気に、知盛が声もなく笑い続けている気配が伝わってくる。
「それとも、源氏の兵は腑抜け揃いか! こうして名乗りを上げている敵将を前に、怯えて挑みかかれぬ腰抜けばかりかッ!?」
さすがの暴言に怒りが湧いたらしく、ざわりとうねる負の感情の波には仄暗く笑う。名乗りを上げた相手を前に、一対多数の無様を彼らは選ばない。そして、頭に血の上った兵であれば、一対多数であってもいなせるほどにはは己の実力に自信を持っている。
知盛を総大将に、生田に控える達に課された命は源氏勢の足止め。そして、合図があり次第すぐにでも撤退することだ。だが、だからと言って敵勢力を少しでも削いでおく必要性が翳るはずもない。たとえ雑兵とはいえ削ぐに越したことはないし、もしかしたらこの挑発に乗って、誰か名のある将が前に出てくるかもしれない。
もう一押しか。冷徹に周囲を見回し、そう胸中でごちたところで、しかしとめどないざわめきを縫い止める凛とした声があった。
「総大将はどこにいる!? 源氏の神子が、一騎打ちを申し込む!!」
声は東から。細く高く、けれど力強い少女の声に、源氏勢の士気が一気に高まり、そして期待するように道が開かれる。
「下がれ」
面倒なことを。そう思いながらも迎え撃つべく体の向きを整えかけたところで、しかしは横合いを通る影に低く制された。
「神子殿は、俺をご指名だ」
「ですが、」
「言ったはずだ……俺に譲れ、と」
「………折れては、いただけませんか?」
「お前は、俺がこの期に及んで繰言を言うとでも思っているのか?」
の三歩前まで進んだところで足を止め、知盛は肩越しに振り返って口の端を薄く吊り上げてみせる。
「案じるな。ここはまだ、終わるべき場ではない」
場違いなほど穏やかに、そう、宥める声を残して。そして知盛は、姿を現した源氏の神子へと視線を転じる。
声からして若い娘であることは察しがついていたが、はその出で立ちに思わず目を見開いていた。膝上で切りそろえられた短い袴に、ぴたりと足に吸い付いているような布の具足。平家の贅を背景に、あらゆる織物を目にしたはずのでさえ見たことのない、鮮やかな桃色の沓――いや、靴だ。
抜き身の両刃刀を携えた少女は、待ち構える男に小さく「知盛」と呟き、それからを見やって不思議そうに、あるいは不審そうに表情を歪める。
「ほぉ? 源氏の神子殿は、俺のことをご存知か……。では、名乗りはいらぬ、か?」
ゆったりとした動作で切っ先を持ち上げ、知盛は嗤う。指名しておきながら、自分から意識を引き剥がされたことが不愉快だったのだろう。戸惑いを殺しきれないまま、しかしから少女の意識が外れた途端、その背に漲る戦意がいっそう鋭さを増す。
「福原はもう落ちたよ。それでも、まだ戦う気?」
「神子殿は、実に愉快なことをおっしゃる。……俺に一騎打ちを申し込む、と……そう仰せになっていたのは、御身ではなかったか?」
「無駄な戦いを避けたいだけだよ」
「では、俺との一騎打ちが無駄か否かは、終えてから考えられると良い」
もはや問答は埒もなしと判じたのだろう。にっと嗤う気配があり、そして知盛は地を蹴って一気に間合いを詰める。
Fin.