鞘の朽ちたる
兵の数には大差がある。まして、戦乱の経験など、およそ百年前の東北平定が最後の記憶だろう。実戦経験のない兵は、いかに修練を積んでいても所詮は烏合の衆。圧勝間違いなしと、そう確信する一方で、影を落とす一抹の不安がある。
「景時殿は、大社をご覧になりましたか?」
「大社っていうと、伽羅御所の南にあったあれ? 遠目には見たけど、どうかした?」
政子への報告を終えた後、本格的な開戦まではまだ間があるからと近隣で取り押さえた小さな家屋に護衛をつけて送り届け、景時はをはじめとした主な武将を呼び出して状況説明と開戦までの指示を出していた。それぞれの役目のためにと早々に引き下がった面々の中で、しかしだけは景時の直属となるので、こうして世間話にも似た会話を続けている。
「……かほどに大掛かりな社を建立し、一体何を祀ろうとしているのかと思いまして」
「ああ、なるほどね。それは俺も不思議に思ったんだけど、いまのところ、特に神気の類は何も感じないから」
「そうですか」
陰陽師でもある景時は、そういう気配の探査に非常に優れている。もそれなりに第六感じみたものを磨いているとは思っているのだが、やはり本職には敵わない。その実感ゆえに素直に疑問を差し向けるに至ったのだが、もどかしさは拭い去れない。
奥州藤原氏の人品は知らないが、無駄なことをするような人間が頂に立っているのであれば、ここまでの繁栄はありえなかったはずだ。それに、斥候に出した兵達からの報告によれば、市中でも随分と警戒を強めているとのこと。全面対決を、彼らも覚悟しているに違いない。だからこそ気にかかるのだが、その真意がさっぱりわからない。
断定できない違和感を抱えたまま、けれど時間は無情に過ぎていく。まるで身に覚えのない伽羅御所襲撃の濡れ衣を着せられ、高まる士気にではと刃を抜けば、なんと、あの大社が本陣として使われているという。まったくもってわけがわからないと、困惑しつつも預けられた一団を率いて市中に攻め込む街道に至ったところで、は己の考えが甘かったことを思い知らされた。
「下がりなさいッ!!」
命じる声は、悲鳴じみていた。先行していた一団が、敵味方の別なく真っ白な光で灼き払われる。あまりに眩く、あまりに強大な、あれは陽の気の塊。神気にて対象を灼き滅ぼすことの感触を知っていればこそ理解できる。かの大社は、巡る五行の気を汲み上げて攻撃へと換える変換機なのだろう。
なんということを。やはりヒトならぬ力を揮うことのある身だからこそ、はその力の使い方に底知れぬ嫌悪を覚える。ヒトならぬ力は、ヒトならぬ対象にこそ揮うことを許されるのだ。こんな、ヒト同士にて決着をつけるべき局面に易々と持ち出すことなど、信じられない愚行としか思えない。
恐慌に駆られて散り散りになる兵達に、必死に声を張り上げる。こうなってはもう、誰が誰の配下だの、そんなことは言っていられない。にできることは、同じくヒトならぬ力をもってアレを相殺し、あの力の餌食になるべきではない命を一つでも多く守ること。
「下がりなさい! 来た道を下がって、射程圏の外に!!」
家長以下、平家の兵で固められたの配下は、命に応じてあっという間に馬首を反転させている。雑兵を率いて先に下がるよう指示を出し、一人残ってのすぐ後ろに寄ってきた家長が、緊張した声音で共に退くようにと進言してくる。
「いくら御身でも、荷が勝ちすぎましょう。今はどうぞ、お退きください」
「突出しすぎた兵がある程度戻るまで、せめて相殺することはできます」
「しかし、」
「すぐに追いつきます。家長殿は、撤退の指揮を」
言いさした言葉を遮り、聞かないとばかりに強く言葉を重ねれば、困ったように溜め息がこぼされる。懐かしいと、場違いな郷愁に薄く口の端を歪め、は繰り返した。
「大丈夫、すぐに追いつきます。こんなところで、わたしが舞台を下りるとでも?」
「……承知いたしました」
強気に返したその言葉は、懐かしい二人の主がよく嘯いていたものだ。いいから好きにさせろと、戦場にて前線に出るたびに言っていた。こんなところで負けるものか。こんなところで終わるものか。それともお前たちは、この俺が信じられないのか、と。
Fin.