鞘の朽ちたる
そういえば、黄金の国ジパングと、マルコ・ポーロがこの国をそう称して憧れたのは、平泉の噂を聞いたからだったか。中尊寺金色堂。名前だけは知っている。歴史の教科書で読んだ気がするし、音が煌びやかだったから印象的だったのだ。現代ではガラスケースの中に納まっているという話だけれど、この時代なら、本物の金色堂を蒼穹の下で見られるのだろうか。
徒然とくだらない物思いに耽っていられるのは、平和な証拠。翻って、退屈な証だ。
年が明け、まずは使者を送るのが先決かと思いきや、どうやら頼朝も景時も、奥州藤原氏の性情をよく知っているらしい。三十万騎にも達そうかという超大軍が編成され、総大将を景時に、以下頼朝を仰ぐ有力御家人衆が豪華に名を連ねる出陣と相成った。
常は範頼の許で陣に出るは、いまだ西国平定に奔走していることを理由に景時の陣に組み込まれている。与えられた手勢は、何の皮肉か、先の赤間関にて源氏への忠誠を誓った、元平家の郎党達。実力も性格もそれなりに知る、なんとも頼もしく懐かしい配下である。
御旗印に掲げていた神子のことはさっぱり無視して、頼朝が突きつけた要求は九郎義経の身柄の引渡し。逃げ込むのを受け入れるからには拒まれるのだろうと、そのぐらいはにも想像がつく。案の定、交渉は決裂したらしい。本陣に引き返してきた景時の表情は、出立時よりもいっそうの沈みを隠しきれずにいる。
「お戻りなさいませ」
「うん。ただいま」
本陣の最奥にある天幕から少し離れた場所で斥候からの報告を聞いていたは、とぼとぼと歩いてくる長身を見つけて振り返る。心得たもので、それまで澱みなく言葉を紡いでいた兵はさっと口を噤み、頭を沈めて景時への礼を示す。
「その人、確か――」
「伊賀家長と申します」
「家長殿をはじめ、どなたも二心などありませんよ。今も、周辺の状況をうかがっていたところです」
「あ、ううん。違う違う、そうじゃないよ。そうじゃなくて、鎌倉に先に戻る時、ずっとちゃんを心配してたから、ようやく会えたんだなぁって思ってさ」
へらりと笑い、景時は変わらず頭を下げている家長に「よかったね」と声をかけている。
はぐらかされた気がしないでもなかったが、その言葉に偽りがないことをは知っている。鎌倉を離れ、人目がふと途切れた隙を狙ってかけられたのは「ようございました」の一言のみだったが、声音から言葉以上の思いを察せるほどには、は家長のことを理解できていると自負している。
「ところで、政子様はどちらにいらっしゃるかな?」
「奥の天幕にてお待ちです。報告をうかがうまでは、こちらに留まられるのだと」
「そっか、うん。ありがとう」
短く礼を言い置いて去る背中は、憔悴と緊張に強張っている。無理からぬことだろうと、思いながらは胸中で蠢く不信感を押し殺す。前線に出たがる女君も、それを引きとめようとさえしない頼朝も、得体の知れない気配が疼いている様子も。ずっとずっと、怪しいと思い続けていた懸案が、ここにきて一気に不透明さを加速させている。
何があるのかはわからない。ただ、何かがあることはわかる。六波羅を去る前、気紛れのように、箴言のように、忠告を手向けられた。鎌倉殿の御許には、ヒトならぬ加護があるようだ、と。
Fin.