透明な瞳
源氏において名のある将であるという肩書き以上に、先の戦役にて両軍に名だたる平知盛を討ち取ったという名目は重い。お蔭で、他の兵達が適当に小屋のようなものをあてがわれているのに対し、だけは勝浦にある以下にも高級な旅籠の一室と、世話役の女房さえ与えられている。
義時とは範頼を通じての顔見知りであり、互いに過剰な干渉はしない関係である。範頼配下の武将達は、みなの貫く“在り方”というものをよく心得てくれている。つまり、頼朝への忠義でもなく、名を上げることでも褒賞を得ることでもなく、ひたすらに平家を滅ぼすためにと。
その一番の目的が果たされた今、次はどうするのかという疑惑の視線を時に向けはするものの、別に頼朝をどうこうするつもりがないこともまたわかっているらしい。一日に一回様子を見に訪れることを習慣とする以外は、ずっと自身の仕事にかまけているようだった。それは、一種の信頼であると知っている。
を担当してくれた医者は、かなり年かさの翁だった。代々医者の家系で、ずっと熊野水軍に仕えているのだという翁の手当ては適確で、傷は順調に回復していく。
綺麗な傷ですな、と。笑われたのはいつだったか。容赦のない、迷いのない太刀筋だ。きっと、この傷をつけた御仁は、よほど名のある将なのでありましょう。そう、慈しむように目を細めながら傷を手当てしてくれた。
翁は義時同様、毎日決まった時間帯に現れる。だから、の生活は二人の訪問を機軸に成り立っている。絡げた御簾の向こうに見える太陽の位置に、そろそろ翁が現れる頃だろうと判じて身繕いをしていたは、だからかけられた声に思わず問い返してしまったのだ。訪れたと、そう先触れを出してきた翁には、壮年の男が一緒だったから。
陽に焼けた逞しい体躯と、潮風に焼かれたのか、鮮やかな赤髪。からりと笑う仕草は人懐こいくせに、所作の端々には流麗さが滲む。先代別当と名乗った男は、実に不思議な相手だった。
手当てをじかに見せるわけにはいかないということで、挨拶をはさんでしばらく隣室で控えてもらい、翁と入れ替わるようにして対峙したその男は、名を藤原湛快と名乗った。
「何か、不自由してることはねぇか?」
「よくしていただいています。何も、不自由などありません」
気さくに笑いながら他愛のない世間話を続けるものの、には、意識の一端がどうしても割かれてやまない先がある。湛快が持参した、それはどう見ても小太刀としか思えない布包み。会話はそつなくこなすものの、気がそぞろで仕方のないを見かねたのか、ついに苦笑を浮かべながら湛快は包みをずいと押しやってくる。
「軍奉行殿に許可をもらってな。勝手だけど、研ぎ直させてもらったぜ」
許可を得て慌てて包みを解けば、そこにはあの日、折れた愛刀の代わりにと与えられ、そして彼の命を貫いた刀が鎮座している。
「折れた方も、直してやりたかったんだがな。ありゃお手上げだって言われたから、やめといた」
懐刀は手許に置かれていたため、きっと折れた愛刀は処分され、同様に敵将のものだったこの刀もまた処分されたのだろうと勝手に推測していた。思いがけず戻ってきた、そして手にすることのできた思い入れの深い一品に、眉根が自然と寄せられる。たとえ誰がどう称そうと、これはだって、彼の形見。
鞘も柄も、見事に磨き上げられていた。ゆっくりと指先で端々まで辿り、そしては静かに視線を持ち上げる。
「抜いてみても?」
「どうぞ」
呼べば誰かしらが控えているのだろうが、この部屋にはと湛快の二人だけ。しかも、湛快は見たところ丸腰である。暗器の類を仕込んでいる可能性は高いし、護衛のものがそこかしこに身を伏せてもいるだろう。何より、次代にその地位を譲ったとはいえ、いまだ衰えた様子を見せないこの男は、紛れもなく水軍の頭領として立った実績を誇り、きっと今でも実力を衰えさせていない。いまだ万全ではないのことなど、いなすのは簡単なのかもしれない。
鞘走りの音も涼やかに、刀身は眩いほどに磨き上げられていた。血にまみれてなお美しかった刃は、磨き上げられればまるで宝飾品のようだ。惚れ惚れと息をつき、そっと、指先で峰を辿る。冷ややかでなめらかな感触は、彼の存在を思い起こさせる。
Fin.