透明な瞳
しばし、息を詰めたまま刀をじっくりと検分してから、は刀身を鞘に納めてそっと膝の前に置く。
「受け取ってもいいと、そういうことでしょうか?」
「それは、アンタのものだろう?」
何を言っているんだかと、湛快は喉を鳴らす。
「まあ、惚れた女に遺すにゃ物騒に過ぎるがな。らしいっちゃ、一番らしい忘れ形見だろ」
胡坐をかいた大腿に肘をつき、手で顎を支えながら湛快はやさしく双眸を細めて刀を見つめている。
「何を、ご存知なのです?」
「何も知りゃしねぇよ。ただ、うちの烏はみんな、海の男だ。眼も良けりゃ耳も良い。……離れた舟の上の唇だって、読める」
背筋が凍る。血の気が退いていく。何を悟られた。何を聞かれたというのだ。こんなところで不確定要素にいきあい、そして何とか掬い上げることの適った、彼に託された命達を失うような可能性など、微塵も許すわけにはいかないのに。
「安心しな。誰に言うつもりもねぇし、それに、あの場に居合わせた奴なら誰だって感じていることだろうよ」
「……なに、を?」
「あの新中納言が、アンタに惚れてたってことを、だ」
聞けば、首はおろかその身につけていたもののひとつさえ残らなかった知盛の死を証すため、本来なら揃って頼朝へと届けられるはずだった二振りの小太刀がこうして残されたのは、拾った兵がこっそりと範頼に渡したからだったらしい。ひそやかに範頼に託され、それを見て見ぬ振りをされ、こっそりと景時の手に渡り、そして湛快の手に渡ってここにある。
「傷もな、一歩間違えば二度と腕が動かなくなる類のもんだ。相討ちに持ち込むこともできただろうに、それを器用にも、ちゃんと治るように調節して肩にぶっさすだけ。これで惚れてなかったって言われても、誰も信じねぇだろ」
唖然と目を見開きながら、は降りかかる言葉をひとつずつ吟味する。告げられる言葉が、過たず彼の思いであれば良いのにと思いながら。
「惚れた女にこんなことまで頼むのは、男としてはまあ、どうかとも思うがな。正直、羨ましくもある」
苦笑はやさしかった。やわらかく嘯き、湛快は腰を上げる。
「呼ぶまで、誰も近づけないどいてやるよ。――いい加減、ちゃんと泣いてやれ」
衣擦れの音がの横を通り過ぎながら、大きく無骨な掌がその頭をぽんぽんと軽く叩く。
言葉通り、退室しても誰の気配も近づいてこない部屋の中で、はゆっくりと刀を抱きしめた。鞘後と抱きしめ、深く深く抱きしめ、頬を摺り寄せて。は泣いた。それしか知らぬように、ひたすらに。押し殺した声で、自分の葬り去った男の名を呼びながら。
そのままつつがなく日々は過ぎ、一行が鎌倉に戻ったのは年明けを間近に控えた冬のある日のことだった。首を取らなかったことへの咎めもあったものの、さすがの戦功には惜しみのない褒賞が振舞われる。
とはいえ、女の身では何かと制約も多い。特例としてその面前に侍ることを許され、欲しいものを言ってみろと直々に声をかけられて、ではとは奥州への軍を派遣する際には、ぜひ自分も加えてくれるよう願い出た。それと、もし許されるなら自分の後ろ盾になってくれている御家人の戦功と見なし、その一族に土地なり何なりを、と。
範頼は結局、まだしばらく鎌倉には戻れないらしい。いつものごとく御家人の邸に身を寄せながら、代わりにと様子を話しに顔を出してくれる景時の口から、状況を推し量る。
「年が明けたら、すぐに出ることになるよ。でも、本当に良いの?」
「良い、とは?」
「だって、もう平家は関係ないんだよ? ちゃん、このままずっと戦に出るつもり?」
「それが、わたしにできることですから」
薄く、は笑う。その言葉は、裏を返せばそれ以外に何も価値がないという意味だ。が使える名は“暁天将”ただひとつ。その呼称に意味がなくなった瞬間、がその名においてと助命に口添えした大切な人々の命が危ぶまれるかもしれないのなら、なおのこと。
申し出の突飛さが面白かったのか、頼朝はの願いを二つ返事で了承した。範頼の西国平定に随従し、そこでの戦功によって褒賞を受けていた一族は、けれどそこでの負傷によって赤間関への参陣を見送っている。剛の者が揃っていればこそ大きな戦役で名を上げられなかったことを悔やんでいた彼らは、だからの申し出による一族の家名の躍進に賞賛を送ってくれた。
彼らに恩を返したい、とも思う。勝手なことをするなと罵られることをも覚悟していたのに、彼らは笑ってくれた。笑っての無事を喜び、その戦功を讃え、そしてそっと、知盛の死を悼んでくれた。
だから、何よりもと思い定めていたことをなした今、は中途半端になってしまった心を、まずは手の届く大切な存在を想うことに割こうと決めた。六波羅から鎌倉に至るまで、鎌倉に至ってから、そして今もなおと共に在ってくれる彼らに報いよう。知盛の最後の願いを聞き届け、の必死の我が侭に応えてくれた彼らのために、働こうと。
Fin.