時雨のとばり
声が思いのほか冷淡であったことが、望美には衝撃だったのだろう。いささか血色の悪くなった貌が、悲しみと理解不能だという思いを湛えてを見返してくる。
「これは私見ですので、無理に賛同をいただこうとは思いませんが」
梶原邸に滞在してその人品を観ていた時にも思ったことだ。彼女は恐らく“綺麗な”人なのだろう。思ったことに真っ直ぐで、それを疑うことを知らず、その眩さを周囲から祝福される稀なる性質の持ち主。それは彼女が生きていただろう世界では誰もが手放しで褒め称える資質だろうが、ここは戦場だ。身分の差異こそが生きる世界を定義し、命の意味に違いを与える。実利よりも大義が、命よりも名誉が重みを持つ世界。
「平家の兵にもまた、源氏から寝返ったものが多くあります。それでもなおと互いに刃を向け合うのは、それぞれが皆、それこそが己の道だと定めたからです」
あえて教えようとは思わない。教えずとも、遠からず知る。それが現実に直面するということだ。それが、何がどう作用したかは知らないが、彼女が軍場に出ることを決意したことに伴う義務であり、こうも戦慣れしている彼女が負うべき責務の一端。
「ならば、互いにすべてを賭し、全力で向かい合い、奪い合うことだけが揺るぎない誠意だと。わたしは、そう信じて貫いています」
言って小さく会釈を送り、は望美の返事など待たずにさっさと腰を上げ、今度こそ当初の目的地であった己の配下達を探して人混みの中へと足を向けた。
の配下として、六波羅から鎌倉に下った時からずっと仕えてくれている御家人たちに、欠けた顔はなかった。あの乱戦にして激戦の中、よくぞ全員生き延びてくれたと素直にねぎらいの言葉をかけ、いい加減今後の方針も決まっているだろうと天幕に戻れば、待ち受けていたのは範頼とその配下のみ。
「お前、神子様に喧嘩を売ったんだってな?」
「……はい?」
「あのヒノエって奴が覗き見ていたらしいぞ。お蔭で神子様は黙りこくって考え事をしているし、義経殿は感心しているし。なかなか愉しかったぜ」
「………範頼殿の愉悦のためになしたことではありません」
「わかってる。ただ、俺としては先日の件もあるから、興味深く聞かせてもらっただけだ」
遠慮なくからからと笑い、それから範頼は「この後だが」と話題を切り替える。
「深手の兵は義経殿に預けて、残りの面子で二日後の朝に鎌倉に発つ」
「先触れは」
「もう出したから、気にしなくていい。それと、梶原殿が本三位中将を生け捕ったから、その護送も兼ねての道中だ。お前は俺の傍を離れるなよ」
それは即ち、平家の捕虜に不用意に近づいて、面倒ごとの種を撒くなという牽制だ。とて、こんなところで面倒ごとに巻き込まれて戦線から外されるのはごめんなので、その忠告には素直に頷いておいた。
その夜のうちに陣を発って京に向かった九郎一行を見送り、達は鎌倉へと戻った。二つ名を与えられた将といえ、は立場も何もない存在。大倉御所にて頼朝の前に侍ることなどできるはずもなく、範頼を通じて次の沙汰が下されるまでは、平家から源氏へと身を移すに際して後ろ盾を買って出てくれた御家人の邸に身を寄せることとしている。
景時と範頼が案じていたとおり、現場の独断であらかじめ与えられていた大義名分を拡大解釈し、さらには先帝と三種の神器を海上に逃してしまったことこそが頼朝の怒りを買ったらしい。それぞれの御家人に対する戦功への褒賞は与えられたものの、同時に二度とこのような勝手は許さないとの厳重注意が下されたことを、範頼は大らかに笑いながら告げる。
「そういえば、景時殿はまた京に参られるのですか?」
「梶原殿は、義経殿のいわばお目付け役だからな。忙しいことはどうしようもない」
褒章を渡しついでに次の沙汰を告げるからと、招かれた先は範頼の邸。昼からじっくりと時間をかけて各御家人に頼朝からの褒賞を分け与え、そのまま酒宴になだれ込んだ喧騒を背景に、範頼はを手招いてちっとも酔いの回っていない様子で言葉を重ねていく。
せっかくの宴席だからという理由で招かれていた景時は、遠慮容赦のない範頼の発言に、困ったように苦笑を浮かべている。
「まあ、京には朔がいるしね。俺も八葉だっていうことだし、それなりに働かないといけないからさ」
「お前、本当に妹が好きだな」
「そりゃ、やっぱり家族は格別だよ」
穏やかに微笑んで範頼の軽口に切り返し、景時はそのままの笑みでへと視線を向ける。
「でも、今回は京には長居できないんだ。すぐに熊野だからね」
「熊野、と申しますと、やはり水軍の協力を仰ぎに?」
「他人事じゃないぞ。俺達はその間、西海の水軍を口説いて回る」
ふと、宴席に似つかわしくない重く真摯な沈黙が下りる。実に淡々とした口調で言い切った範頼の相貌は、声音とは裏腹に険しさに彩られている。
Fin.