時雨のとばり
「仮にも将なんだ。傷の具合を見誤るような無様なことはしないだろ。なぁ?」
「当然です」
「しかし……」
「平敦盛のことは信用するくせに、俺の部下は信用できないのか?」
なおも食い下がろうとしたらしい弁慶に、今度は範頼の声がひたと凍りつく。
「確かに、暁天将殿は元は平家の将だがな。今は俺の配下だ。戦功もあり、兵からの信も篤い。それとも、俺の言葉をお前は否定できるほど偉かったのか?」
冷酷さすら感じさせるその声が怒りを抑えていることは明白。望美や九郎が肩を竦めたり目を見開いたりしている先で、しかし弁慶は動じた様子もなく、そして悪びれた様子もなくさらりと腰を折る。
「これは、失礼をいたしました。元が薬師なものですから、つい、怪我人には過保護になってしまうのですよ」
「見誤って倒れるなら、それまでだったということだ。気にするな」
「そうですね。さんも、失礼を」
再び元の笑顔を纏いなおした二人の遣り取りは、穏やかでありながら白々しく、見るものの背筋を凍らせる。
そのまま範頼達は京への帰還と鎌倉への帰還の打ち合わせをするとのことだったので、は己を仰ぐ御家人達の様子を確認するため、天幕を後にする。だが、兵達の群れている辺りに辿り着くよりも先に、背後から響いていた足音の主が声をかけてくる。
「あの、さん」
呼ばれて振り返った先には、先ほどの表情とも違う、どこか困惑の色を強く滲ませる少女が立っている。
「その……傷、大丈夫ですか?」
「痛みがないと言えば嘘になりますが、この程度、戦場での常のうちです」
同じく足を止めたの真正面まで距離を詰め、望美はもじもじと腹の辺りで組み合わせた指を動かしては言葉を探している様子である。
「少し、座りますか?」
「えっ!?」
小さく息を吐き出し、ちらと視線を周囲に流しながら提案すれば、純粋に驚きの声が返される。一体この少女にどう思われているのかが少しばかり気にかかりはしたが、は特に深くは追求せず、行商達の集うあたりから少し離れた草地に向かい、腰を下ろす。
逡巡をはさみはしたものの、望美もまたの隣にそっと腰を下ろした。その所作は実に無駄がなく、は横目に望美が随分と戦闘行為に馴染んでいることを確信する。
「何か、わたしに言いたいことがあるのでは?」
だが、いつまでも黙っていては時間がもったいない。促すように問いかければ、望美は困ったように視線を地に落とし、けれど意を決した様子でを見つめ返す。
「さん、元は平家の人だって、本当ですか?」
「ええ」
問いの内容は、少し前であればそこかしこで噂として嫌でも耳に入ってきたものだった。なるほど、それを気にしていたのかと、少しばかり肩透かしを喰らったような気持ちでは頷く。
「ですが、今は源氏の将です。鎌倉殿の御世を築くため、わたしは平家と戦い続けます」
「平家の人のことは、もうどうでもいいんですか?」
言い聞かせるようにして紡いだ言葉には、思いがけず強い調子での反駁が与えられた。これはまた、答えにくい質問であることだと。思いながらは瞬きを繰り返す。
建前を説くのは簡単だし、慣れている。だが、その建前の正当性さえ、きっとこの世界に降り立ったばかりの彼女は理解しないだろう。いや、理解できないだろう。この世界でそれなり以上の時間を重ねたも、いまだに納得したとはいえないのだから。
「情ではなく、義の問題です。人を想うのではなく、世を見、世を思えばこそ、わたしは平家を去りました」
それこそが大義名分。そして言い訳だ。それを胸の中で何度となく繰り返し、は今なお苦悶の叫びを上げ続ける己が心を言いくるめている。
「それだけで、割り切れるんですか? だって、今日も平家の人と戦ったってことは――」
「かつて共に戦場を駆けた相手を斬ったと、そういうことですね」
ことさら淡々と望美の言い澱んだ先を引き取り、は逆に問い返す。
「それが軍場の倣いです。では問いますが、わたしが変わらず平家の将だったとして、ゆえにと源氏の兵を斬ることと、一体どれほどの違いがあります?」
「違い、って」
「所詮、軍場に立つ我らは皆、血に飢えたケダモノ。命を奪い合うことに違いはないのに、綺麗事など、言って何になります」
胸が痛まずにあるものか。敵を斬ると、それだけでも常に恐怖を抱え続けているのに、それがかつて信を寄せ、信を寄せられた相手であることの苦痛がどれほどのものであることか。
それこそは言っても詮無いこと。が自身で決断した道だから、八つ当たりはかろうじて胸に沈める。
Fin.