朔夜のうさぎは夢を見る

時雨のとばり

 陸側からの攻撃には、いつの間に合流したのか、福原を攻めていたはずの九郎達の姿が加わっていた。あらかたの決着がつき、その足で新たに陣を敷いたという大和田泊まで出てみれば、既に主な将は帰還しており、天幕にて報告をしているとのこと。
 馬を手近な雑兵に預けて陣幕を潜れば、なるほど、見覚えのある顔が揃っている。範頼もどうやら特に手傷は負っていないらしい。集う面々の中でこれほどの手負いは自分だけだと察し、は罰の悪さを覚えながらそれぞれに報告を交し合っている一団の許へそっと歩み寄る。
「範頼殿」
「ああ、戻ったか」
 に気づいて目を円くしている望美と譲には小さく目礼を送り、そっと呼べば範頼が振り返る。
「派手にやったらしいな。傷はもう手当てをしたのか?」
「血止めのみ。逃したことはわたしの失態ですので、先にご報告をと思いました」
 どうやら先んじて報告が入っていたらしい。言い訳をするつもりなどないし、何をどう言い繕ったところで事実は覆せない。短く応じれば、不機嫌そうに範頼が眉根を寄せる。
「先に手当てをしてこい。手はいるか?」
「自分でまかなえます」
「用意はさせる。終わったら出てこい」
 言いながらくいと顎で示された先は天幕の奥。どんな場面でも女扱いなどしないくせに、範頼はの怪我の手当てだけは決して人目に触れさせない。戦場においては、ただでさえ少ない女の一人。たとえ将といえど、無闇に肌を曝せば、戦闘の余波で気が昂っている兵達の風紀を乱す原因になりかねないと堂々と言い放たれている。
 手持ちの薬だの包帯だのは、こちらに移動させられているらしい。控えていた範頼付きの小姓にそれらを運ばせる指示を出し、は浅く腰を折って総大将達の前を辞す許しを請うた。


 いくら布で仕切られているとはいえ、どうせ広くもない陣の、背中合わせのような場所に下がっただけである。乱暴に縛り付けただけの衣の切れ端をほどきながら、はじっと背後で繰り広げられる会話に耳をすませる。
「話を戻すぞ。とにかく、俺と梶原殿は一旦鎌倉に戻るから、その間、京の守護は義経殿に一任する。これでいいか、白龍の神子様?」
「じゃあ、敦盛さんは、」
「義経殿に預ける。鎌倉殿にもご報告は申し上げるがな」
「わかりました。そういうことで、お願いします」
 戦功華々しかったと聞く白龍の神子の紡いだ思いがけない名前に目を見開くものの、対する範頼の苦々しい口調から、はなんとなく状況を察する。どうやら彼女は、進軍に口をはさむだけではなく、捕虜の扱いにおいても口出しをしているらしい。
 立場の違いだの身分の上下だの、それらを知らないがゆえの強さなのか。あるいは、怨霊に対して唯一にして絶対の力を揮うことができるがゆえの強気なのか。いずれにせよ、自分には選びようのない選択肢だと内心で呆れとも驚嘆ともつかない息を深々とこぼし、は包帯をくるくると腹部に巻きつけていく。
「範頼殿は、兵を率いて戻られるのですよね? さんはどうするおつもりです?」
「傷の深さ次第では置いていく。その場合、あいつも義経殿に預けることとなるが」
「あ、それならまたうちに来てくれれば良いよ。朔も気を許しているみたいだし、女の子同士の方が、都合のいいこともあるだろうし」
「そうだな。俺も、それが良いと思います」
「では、頼むとしよう」
 薬師でもあると標榜し、実際に陣においては軍医として立ち回ることもある弁慶の指摘に、当人に聞こえていることをわかっているだろうに、を弾いた状態で話がぽんぽんと進められていく。


 着衣を整えなおして幕から顔を覗かせれば、得たりといった様子でそれぞれが視線だの首だのを巡らせてくる。
「聞いていたな? どうだ、鎌倉に戻るのに支障はあるか?」
「強行軍でないのなら、問題はありません」
「本当ですか? 相当な深手だと聞きましたが」
 範頼に対してキッパリと返せば、望美は残念そうな表情を浮かべ、そして弁慶が食い下がってくる。
「浅傷ではありませんが、刀が良かったのか、傷口も綺麗なものです。範頼殿のお許しさえいただけるなら、共に鎌倉に帰還したく思います」
「無駄だ、法師殿。こいつは言い出したら聞かなくてな」
 けらけらと笑いながら範頼が間に入り、笑顔の弁慶を鋭く睨み据えるに窘めるような視線を送る。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。