朔夜のうさぎは夢を見る

真白の切っ先

 一行が生田についた頃には既に景時の軍が到着し、逆茂木を崩しながら矢の射掛け合いに必死に応じているところだった。末端の兵達を逆茂木で作業している面々に合流させ、は範頼と共に景時を探して状況を問う。
「こんな馬鹿なことを言い出したのは、義経殿か? それともあの胡散臭い法師か?」
 どうやら、矢合わせがはじまってからさほどの時間も経っていないらしい。急いだ甲斐があったと息をつく一方で、範頼は道中ずっと堪えていたのだろう不満を遠慮なくぶちまけている。
「いや、ヒノエくんだよ。九郎も、はじめは反対してたんだけど、望美ちゃんが乗り気で、結局そういう流れになっちゃったんだ」
「……俺にもわかるように話せよ」
「ヒノエ殿とは、熊野水軍の者だと名乗っていた男で、八葉の一人。望美殿は、白龍の神子です」
 固有名詞についていけなかったらしい範頼の不満には、横合いからそっとが補足説明を入れる。一通りの報告はしてあるため、短い説明だけでも合点がいったらしく、申し訳なさそうに眉根を寄せている景時に範頼は「で?」と言葉を継ぐ。
「随分な使い手だという話は聞いたが、神子様はよもや、軍師としての才もあるのか?」
「才っていうか、山ノ口の陣が偽物かもしれないって、言い出したのが望美ちゃんだったんだ。それに、白龍と九郎の剣の師が、望美ちゃんの意見を擁護したものだから」
「従ったって? 義経殿は、己が総大将だという自覚はないのか?」
 苛立ちの向こうに侮蔑の色さえ見え隠れする。あっという間に冷え切った範頼の声音に、は何も言わないし、景時でさえそれ以上庇い立てる気配はない。
「とにかく、もう引き返せないんだ。範頼殿は元々生田を攻める予定だったし、ここで嫡流の公達を生け捕りにでもできれば、とりあえずの面目は保てる」
「面目どころの話じゃない。なんとしても、先帝と三種の神器を損なうようなことにならないうちに、蹴りをつける」
 ぎらぎらと鋭さを増した横顔をちらと見流し、そしては敵本陣があるだろう方角へと視線を飛ばす。


 せっかく指揮を執れる将が二人いるのだからと、範頼と景時は逆茂木を取り払った後は海側と陸側から挟み込む形での攻撃を仕掛けることで合意していた。敗走するならば海側であろうから、大手軍のほとんどは範頼と共に海側から。景時の率いてきた軍と大手軍の一部は陸側から、それぞれに本陣の敷かれている生田神社を目指す。
「どうせ乱戦だ。先駆けの功は証すのが難しいだろうから、とにかく首を狙え!」
 雨のように降り注ぐ矢に討たれて、既に何人もの犠牲が出ている。文字通り屍を乗り越え、は愛馬と共に範頼の檄を聞く。
「総大将は生け捕り、それ以外は首を取る! いいなッ!!」
 明快な指示に、うねるようにして闘気と殺気が高まっていくのを第六感でまざまざと受け止める。
「怨霊はいるか?」
「多少は。既にこれだけの犠牲ですから、敵陣での戦死者が還っているのかもしれません」
 いよいよ逆茂木はあとわずか。矢の嵐は徐々に納まりつつあり、互いに近接戦に備えて獲物を取り替えている気配が交差する。
「怨霊は相手取るな! ヒトならぬモノは、この暁天将が薙ぎ払う!」
 すらりと鞘から抜き放った小太刀を掲げてもまた凛と声を張る。満足そうに含み嗤う範頼の声は、返される大音声のいらえに掻き消される。
「行くぞッ!!」
 もはや障害になりえないほどに崩れた逆茂木を馬脚で蹴散らし、騎馬兵達が我先にと先陣を切る。
「揺らぐなよ」
「笑止」
 それらに続こうと馬上で姿勢を整えたは、駆け出す寸前に投げかけられたただ静かな声にちらと嗤い、血のにおいの充満する前線へと駆け出した。


 そこかしこで怒号と悲鳴が上がっている。戦塵の只中では、第六感など使っている余裕もないし、捌ききれない情報を脳に送るのは致命的な弱点となる。歩兵は馬で蹴倒し、四方から繰り出される武器は使い手ごと切り伏せる。
 血のにおいばかりが鼻につき、汗のせいで視界は曇り、乱れる息遣いのせいで聴覚はあてにならない。それでも、五感から得られるもてる限りの情報を頼りに血と屍の道を築きながら、は奥へ、奥へと馬を進める。
 名乗るものには名乗りを返し、名乗らぬものにはただ刃を与える。敵も味方もよくわからない払暁の乱戦の中、そしてようやく顔をみせたらしい朝日に燦然と輝く金と緋の鎧を纏う男を見つける。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。