朔夜のうさぎは夢を見る

真白の切っ先

 散策は控えるようにと、そう言われてしまえばは暇で仕方がない。朝夕邸にいればそれなりに言葉を交わしたりして人品を探ることができるが、昼の間はさてどうするかと。考えた結果、は九郎に申し出て、神泉苑での雨乞いのための準備に加えてもらうことにした。
 儀式の采配を執り行う役人連中はともかく、警護を預かる源氏の兵達に、を知らない者はない。良くも悪くも、陣にてただ一人の姫将軍の存在は、有名に過ぎる。なんだかんだと言いがかりをつけてくる者もあるが、そこはそれ、気にしていてもはじまらない。
 早く範頼の軍に戻りたいとぼんやり考えながら、日々は淡々と過ぎ去っていく。
 雨乞いの儀が終わるのを待ちかねたように、範頼は早速進軍再開の指揮をとった。いつの間にやらどこかに姿を消した将臣はいないが、ヒノエはそのまま九郎の軍に同行するつもりらしい。福原に偵察に出ていた弁慶も帰還し、いよいよと士気の高まる中、もまた世話になったことへの礼を残し、範頼の待つ京の郊外へと足を向ける。


 先日と同様、大手軍は範頼、搦手軍は九郎を総大将に据えての進軍と沙汰が下っている。福原の東に平家軍の主力が陣を敷いているとの報告を受け、範頼は大群を率いて東の生田を目指し、九郎は残る手勢を率いて背面の三草山を目指す。
 軍の規模が違えば、進軍の速度が異なるのは当然の帰結。早々に三草山に到着するや、平家側の用意していた空の陣による偽情報を看破したとの報告に続いたのは、なんとも信じがたい奇策。
「……本気ですか?」
「本気だろうよ。第一、今から伝令を走らせたところで、止めるには間に合わない」
 空の陣を敷き、恐らく自分達がそれに騙されたと平家陣営は油断をしているだろう。ここで虚を衝き、一気に福原へと攻め入るべし。届けられた伝言に、は目を円く見開き、範頼は険しい表情で頭をかく。
「攻めの手としては悪くない。だが、ここで平家の連中に先帝と三種の神器を海上に持ち出されれば、厄介極まりないな」
「福原にあると確信できていればこそ、包囲網を固めてからじっくり落とすつもりでいらしたのでしょう?」
「仕方ない。速度を上げるぞ。……義経殿が確保してくれるならそれでよし。そうでないなら屋島に向かうだろうから、海上に出られる前に、なんとしても確保するしかないだろう」
 無茶な進軍をして兵を振り払いながら進むには、目指す生田にて控える平家の将が重すぎる。


 戦上手の異名を轟かせる、平家随一の僥将たる平知盛。南都焼き討ちの汚名をかぶってなおその手腕と士気の衰えぬ、常勝将軍たる平重衡。彼らを中心に守りを固めているというのだから、一筋縄ではいくまい。
「生田には梶原殿も回る。神子様は義経殿に同行するらしいが、お前と梶原殿がいれば、怨霊にも対処ができるだろう?」
 背後に控える兵に進軍速度を上げる旨を指示し、手綱を引きなおして範頼は低く呟く。
「新中納言は怨霊をどれほど使ってくると見る、暁天将殿」
 その声は重かった。試されているのだと直観し、けれどは不敵に笑う。
「珍しく、弱気になっておいでですか?」
「本拠の目と鼻の先だ。なりふり構わず怨霊を使われれば、こちらとしてはひとたまりもない」
「素直でいらっしゃいますね」
「お前は、偽りには偽りを返すが、真には真を返すやつだ」
 顰めた会話の締め括りに手向けられた信頼に小さく目を見開き、は今度は薄いはにかみを口の端に刷く。
「使われますまい……新中納言殿の怨霊嫌いは、平家の中でも有名な話でした」
「では、その性質が変じていないことを祈るのみだな」
 そして範頼は首を巡らせて朗々と声を張った。
「敵本陣は目前だ! 名を上げる機会だぞ、心して進め!!」
 堂々たる檄に返される鬨の声は、野太く、頼もしい。混沌を呈してきた戦況など、兵達には微塵も伝わってはいないだろう。変わらず厳しい表情で前方を見据える範頼の頭の中では、しかしきっと三種の神器をとり逃したり先帝の命が損なわれた場合への対処がめまぐるしく列挙されているに違いない。
 思索を邪魔することのないよう並べていた馬を少しずつ下がらせ、もまた堂々と、前を見据えて馬を進める。

Fin.

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