朔夜のうさぎは夢を見る

真白の切っ先

 その夜、周囲がすっかり寝静まった頃を見計らって与えられた部屋を後にしたは、足音を潜ませて不自然に静まり返っている邸の一角に赴き、小さく声を紡ぐ。
「景時殿」
「大丈夫、そのまま入って」
 灯りの落とされた御簾の向こうからは、同じく潜められた声がすぐさま返される。音を立てないよう気を配りながら御簾を潜り、潜り込んだ先では単衣の上に上着を羽織った景時が燭台に向かって小声でまじないを唱えていた。
「良かった、わかってくれて」
「こちらこそ、昼は大変助かりました」
「お互い様だよ。ごめんね、範頼殿から聞いた時には、将臣くんもヒノエくんもいなかったからさ。連絡ができなかったんだ」
「将臣殿の、あれは」
 火を灯し、そしてついでに周囲に対して目くらましの結界でも張ったのだろう。部屋の四隅に対して何かを投げるような所作を送ってから、景時は所在無さげに部屋の入り口を入った辺りで立ち尽くしていたを手招き、用意していたのだろう円座を勧める。
「あそこまで堂々とされていると、逆に違うのかな、とも思うんだけどね。警戒するに越したことはないから」
「……確かに。都落ちよりこちら、平家縁の品は、あちらこちらで売り捌かれておりますが」
「それにしては、品が良いんだよね。俺としては、限りなく黒だと思う」
「かといって、確たる証拠もないままでは、手出しをいたしかねます」
「そうだね。それに、八葉だっていうのも面倒なんだよ」
 深々と息を吐き出し、景時は手元に提子を引き寄せる。


 用意されていた椀は二つあり、それに手ずから清水を酌み、そっとに勧めてから景時は続ける。
「範頼殿は、何ておっしゃってる?」
「使えるのならば前線にて、使えぬのならば後衛にて御旗印とすべし、と」
「頼朝様のことは、何かおっしゃってた?」
「特には何も。使えるかどうかを見極めてこいと申し付けられましたゆえ、報告を上げてより、改めて奏上なさるおつもりでしょう。それより、義経殿……九郎殿からお伺いを立てる方が先では?」
「お伺いっていうか、多分事後報告という形を取っていると思うんだよねぇ」
 どこか苦味の滲む声で呻くように呟き、景時は椀の中身を啜る。
「望美ちゃんが白龍の神子だっていうのは間違いないよ。俺も、この目で封印を見た。それに、そうじゃなきゃ白龍の存在に説明がつかない」
「神が、人の世に直接混じっているのですか」
 陰陽師でもある景時が言うのだから、きっとそれが真実なのだろう。信憑性の高い報告を確実に上げられるだけの情報を手にした充足感は、しかし同時に湧き起こる不可解さと嫌悪感にじわりと侵蝕される。
ちゃん、とことんそういうのが嫌いだよね」
「戦に怨霊を持ち出した平家を厭うて源氏に身を寄せたのです。だというのに、その源氏までもが人外の力に手を出すことが、一体どうして面白いと?」
 苦笑交じりの声に冷やりと切り返し、は苛立ちを飲み込むように椀の中身に口をつける。


 本音と微妙に色を違えるものの、しかしそれは確かにの真情であった。人外の力に手を出して、それでは真に人が幸せになりえないことを、は間近に見てきた。怨霊として還ることがいかな思いを当人に齎すのかは、推し量ることしかできない。ただ、喪われた存在を怨霊として返すことが取り返しのつかない絶望と後悔を齎すことを、身をもって知っている。
「雨乞いの儀が終われば、すぐにも進軍を再開することでしょう。神子殿のことはともかく、そうなれば私は範頼殿の軍に戻ります」
「うん。どうも三草山あたりに平家が陣を用意しているらしい。福原も目と鼻の先だし、次はきっと、今回よりも激しい戦いになると思う」
「なればいっそ、このまま福原をも落とすだけのこと」
 思考を切り替え、冴え冴えと嗤ってそう嘯けば、景時は困ったように苦笑を浮かべてみせる。
「戦功に貪欲なのは良いことだけど、過ごさないようにね? 俺達は、あくまで頼朝様の意を受けて動く駒なんだよ」
「承知しております。それに、わたしがいくら逸ろうとも、範頼殿の命がなくば動けませんもの」
「まあね。そういう意味では、君のことは微塵も疑っていないよ」
 くすくすと笑いあい、今度は穏やかな気持ちで椀に口をつけては続ける。
「とにかく、しばらくは観察に徹したいと思います。気にかかることがあれば景時殿にもご報告しますので、何かお気づきの点があれば、こちらにもお教え願いたく」
「うん、わかってる。その代わりというか、申し訳ないんだけど、あんまり目立たれても困るから、散策の類にはついていってほしくないんだ。お願いできる?」
「承知いたしました」
 密談はしめやかに。そのままいくつか、“景時の知り合いの家人である”の立ち位置を確認する言葉を交わし、二人はそのすべてを夜の帳に封じて、何事も素知らぬ風情でそれぞれの寝室にて褥に潜り込んだ。

Fin.

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