朔夜のうさぎは夢を見る

真白の切っ先

 忠義など二の次。誰もが戦功に対する恩賞目当てに軍場に出ているのだ。忠信に欠けると、それをあえて声高に咎められるのは、そういう儀礼的な場面でのみ。はそう思っているし、範頼とて似たようなものだ。だから、あえて鎌倉への忠義を信じないと衝きつけてきたことには何も感慨など抱かない。
「軽蔑なさいますか?」
「何を」
「忠義を誓った相手をこそ殺すために、こうして軍場を求めるわたしのことを」
 その心など、明かしてはやらない。何を思われようと歯牙にもかけるつもりはない。ただ、それゆえにと範頼の傍から離されるのは都合が悪い。大将軍として、この先義経と共に平家追討の先陣を駆けるだろう範頼の傍らにあることこそが、にとっては肝要なのだ。
「新中納言殿のお心はわかりませんけれど、ご指摘のとおり、わたしは平家を滅ぼすためにこそここに在ります」
「……俺はな、義仲と兼平のことは、実に立派だと思う。だからといって、お前と新中納言のことを見下したりはしない」
 そっと、静かな声でいらえて、範頼はもう一度の頭をぽんぽんと叩いた。
「平家追討という目的を見失わないなら、多少は好きに動いていいぞ。見逃してやれる分には、目を瞑っててやる」
「………なぜ、今ここで、そのようなお話を?」
 同じ反応だな、と思い、同じ問いを繰り返せば、範頼は今度は困ったように笑う。
「怨霊も反則だが、神を持ち出すのも反則だからな。……俺なりの、武士の情けってヤツだ」
 そんな偉い立場でもなければ、大したこともできないんだがな。嘯く声の軽やかさに、は小さく俯いて「そうですか」とほどけた声を返していた。


 平等院に到着した一行を待ち受けていたのは、先に市中にある邸へと引き上げた義経らに残された御家人達だった。遠巻きにとはいえ、突如現れた龍神の神子と自分たちの大将との遣り取りを聞いていた彼らから情報を収集しながら、は必死になって脳裏で思考を駆け巡らせる。
 見慣れない短い袴に、足にぴったりと吸い付く布でできていると思われる具足。やはり布でできているようにしか見えなかったという沓。そして、神子を守る八葉だというやはり新たに現れた青年は、目許に透明な玻璃とおぼしき装身具を纏っていたという。
 龍神伝説は、薄ぼんやりとではあるが聞いたことがある。それによると、神子は異なる世界より現れ、そして役目を果たせば天へ還るという。その“異世界”をろくに定義しようとは思わなかっただが、聞き知った情報を統合すれば、それが“どこ”であるかが朧に察せられる。そして、直感的に不味い、と思う。
「月の都なんて、単なる子供の寝物語に過ぎないと思っていたが、あながち嘘ではなさそうだな」
 義経らを追って市中に入ってもいいのだが、邸のない身ではどこでも同じだと、範頼は平等院に留まることを選んでいた。替えの衣装を適当に貸してほしいとの旨を軍奉行の邸に送り、院への目通りの日取りを決めてから連絡を寄越せと義経に伝令を送ったところで、あとはのんびり寛ぎながら少しばかり遅い戦勝祝いの酒を舐める。
「龍神はちっこいガキの姿だったって言うし。お前、次の沙汰があるまで、梶原殿のところに世話になれよ」
「それで、どうせよと?」
「無論、見極めるのさ」
 神子の存在の真偽と、我らにとっての損益とを。嘯く物騒な声にはちらと目をやるだけで、は手中の杯を一息に干す。


 義仲追討の後は、速やかに平家追討に移るように、とはあらかじめ頼朝から言い含められていることである。後白河院との間で簡単に話をつけ、あとは京を横切って西へと攻め込むのみ。
 いよいよ目前に迫る平家の本拠である福原には、恐らくこれまで以上に怨霊が控えているだろうことは想像に難くない。そこを攻めるにあたり、果たして白龍の神子とやらが使い物になるか否かを見極めてこい、というのが範頼の言い分なのだろう。
「使えるのならば先陣にて御旗印に。使えぬのならば、後衛にて御旗印に、と?」
「さすが、暁天将殿は良くわかっている」
 酒気に焼かれた吐息に皮肉を織り交ぜるものの、範頼は動じない。酒精によって常よりも陽気さを増した声で、けらけらと笑う。
「梶原の姫君にも出陣していただいているんだ。白龍の神子だからとて、特別扱いはしないぜ」
「義経殿と共に宇治上神社へ出たと聞いています。むしろ、前線にこそ出たがるのでは?」
「だからと言って、使えないやつを前線に置けるほど、平家の連中もまだ落ちぶれてはいない」
 それぞれに手酌で勝手気ままに酒を呷りながら、勝利に酔うことなく二人は淡々と戦略を練る。
「粟津に置いてきてる連中の指揮は任せろ。とにかく、次の出陣まではお前は梶原殿預かりだ。いいな」
「……承知しました。ただし、先にお話を通していただいてからです」
「わかってる。どうせ法住寺殿で義経殿とは顔をあわせるんだ。そこで引き渡すから、お前、法住寺殿についてこいよ」
 久しぶりの京なのだから、範頼が忙しい間は少しは羽を伸ばせるかと思っていたが、そうもいかないらしい。だが、これはこれで都合のいい面もあるだろう。自分の取り分である瓶子の中の最後の一滴を飲み干してから、は「承知しました」と再び繰り返した。

Fin.

back --- next

back to 空の果てる場所 index
http://crescent.mistymoon.michikusa.jp/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。