朔夜のうさぎは夢を見る

真白の切っ先

 義仲追討をつつがなく終わらせ、このまま院の許に赴くことが今の範頼軍の使命である。さすがに義経が率いる軍勢に加えてそれを凌ぐ軍勢を京に入れるわけにはいかないため、は近江と京の間で兵達と共に範頼を待つつもりであったのだが、ついでだからついてこいと、そう命じられてこうして馬を進めている。
 範頼に人外のものを察知する能力や先視の夢を見る能力はないようだったから、これは将としての思惑か、あるいは気紛れな思い付きによる命令。だが、ただの行軍のはずが思わぬ意味合いを持ってきたことに、は眉間の皺を解けない。
「難しい顔をしても、何もはじまらない。ちょうど良かったじゃないか。正体を突き止めるにせよなんにせよ、お前がいてくれると助かる」
「……なぜ、かくも鷹揚に構えていられるのです?」
「怨霊に対抗する存在ともなれば、伝説にある神子様だろう? 神の意は我らにありと、そうなってくれればありがたいからな」
 どうやら、気配は宇治川の近辺に留まり、そこから大きく移動する様子はない。これ以上細かに探り続ける必要はないと判じ、感覚の触手を先から散らすことでこめかみを苛み続けていた偏頭痛から解放されたは、息を吐き出しながら、からりと笑う範頼を横目に見つめる。
「仮に神子だとして、軍場になど、そう易々と出せるものですか?」
「その辺は、腕の見せ所だな」
「――恐ろしい方」
「俺なんか、まだまだだろ?」
 こうやって言葉の端々に滲まされる観察眼の鋭さが、は恐ろしい。この人は、何もかもを知っていて、その上で自分を泳がせているのではないかとも思う。お蔭で、心休まる睡眠から引き剥がされて久しいのだ。


 先行させていた兵の報告によれば、範頼の推測どおり、義経らは白龍の神子を拾って平等院へと帰還したらしい。陣を敷いているとの報告を受けていた橋姫神社に向かっていた道からはわずかに逸れるが、院御所たる法住寺殿に入る前に身なりを整えるにはちょうどいいだろう。そのまま平等院に合流する旨を知らせる兵を走らせ、範頼はからからと笑う。
「言ったとおりだろ? それに、どうやら神子様はお前と同類のようだぜ」
「義経殿に啖呵を切れるほど、わたしは身の程知らずではありません」
「拗ねることはない。今のところ、鎌倉殿からの信はお前の方が篤いぞ」
「信が薄いからこそ、範頼殿の監視が外れないのでしょう?」
「逆に考えろよ。俺の監視のうちであれば、お前は好きに動けるってことだ」
 軽口の応酬のはずがぞくりと背筋を走る緊張には思わず息を詰め、そして迂闊な反応に胸中で舌打ちをこぼす。
「お前、本当に素直だなぁ」
 鎌倉殿の前では、あんなにも役者なのに。今度こそ耐えられないとばかりにげらげら大声で笑い、そして範頼は馬上から器用に腕を伸ばしての頭をわしわしと撫で回す。
「お前の鎌倉殿への忠義は信じちゃいないがな。お前が平家を滅ぼすと決めたその心は、微塵も疑ってない。安心しろ」
「……なぜ、今ここで、そのようなお話を?」
「神子様が降臨なさったってことは、もう平家はおしまいだからさ」
 あっけらかんと応じ、範頼は遠く前方へと視線を飛ばす。


「還内府のお蔭で多少は盛り返したみたいだが、神の意という威信を覆すには、奴らには大義が足りなすぎる」
「それだけでは、根拠に足りますまい」
「足りる。新中納言がお前を手放したこととあわせれば、もう疑いようはない」
 迷いなく断言し、範頼はにちらと目をやる。
「お前の将兵としての実力は本物だ。生まれ持った才もあるんだろうが、何より師が良かったんだろうな。兵達をたぶらかすやり方を、お前はよく知っている」
「………たぶらかす」
「そうだろう? 兵の前に立つお前は、戦姫そのものだ。行く先危うい一門から切り離すってだけなら他にも方策があった。それを、あえて鎌倉殿に下れなんて命を出したんだ。――新中納言は、お前に殺されたがってるんだろうな」
 誰も知る者がないと思っていた裏事情を口にした範頼を思わず鋭く見据えれば、ひょいと肩を竦めて「睨むなよ」と混ぜ返される。
「御家人連中にお前を東国まで送り届けろと、そう命じたってのを聞いた。俺が新中納言の立場で、そういう命を下すんなら、それ以外に考えられないってだけだ」
「つくづく、恐ろしいお方ですね」
「否定はしないんだな」
 もはや隠し立てたところで無駄だろう。このぐらいならば構わないかと判じ、向けられる推察に暗黙の肯定を示せば、今度は真摯な声が追いかけてくる。

Fin.

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