刃は折れた
何を、何を言われた。彼は何を言った。何を求めた。自分に、何をせよと。細切れの単語ばかりが脳裏を行き交う。どれひとつとして、口をつこうとはしないけれども。
「鎌倉殿の挙兵を受けて抑留していた者どもを、放つ。奴らと共に、東へ下れ」
政治に関する情報はほとんど知らされていないだったが、東に下るべき捕虜となれば、思い当たる節がある。元は知盛の兄である宗盛が預かるはずだったが、武将としての才を評された知盛の許へと預けられた東国を出自とする北面の武士達のことであろう。頼朝を仰いでいるというわけではなかったらしく、捕虜というよりも自身の郎党として扱う知盛に忠義を誓い、先の美濃への出兵の折には目覚しい戦いぶりを見せていたと記憶している。
「……我らは、滅ぶ」
話の本筋から逃れて思考を巡らせることで現実から目を逸らすに、知盛は淡々と続ける。知るはずのない未来を、紡ぐ。
「我らは滅ぶ。滅ばねばならぬ。……理を歪める我らが、これ以上世界に留まる由なぞ、ない」
背を回り、どうにも力の入らない上体を支える腕は力強く、そして冷たかった。
どこまでも冷徹に、ただ現実をひたと見据える視線の遠さに、は四肢の末端から体温が抜け落ちていく錯覚を覚える。
「滅ぶ、など、そのようなこと――」
「偽るなよ。お前こそが、その身をもって示している……我らが、この世に留まれぬその要因を」
からかうような、微かに笑みを滲ませた軽やかな声での断言に、は唇を噛んで視線を俯ける。すべてをただ受け入れて見据える静謐な表情は、直視するには美しすぎる。
「だが、ただ滅ぼされるわけには、ゆかぬ」
そして、声がようやく感情に揺らぐ。後悔と、恐れと、悲しみに。
「我らを正しく滅ぼし、正しく逃す力になれ」
深く、深く、告げられた言葉は重かった。
「鎌倉殿の信を得て、前線にこそ立て」
回された腕に、力が篭もる。言葉に託しきれない思いを沁み込ませるように、強く強く、かきいだかれる。
「そして、俺を殺しにこい」
あまりに優しい声で、あまりに哀しい瞳で。そっと手向けられた思いを、が振り払える道理などないと、知っているくせに。
ゆるゆると持ち上げた指で触れた知盛の手は、冷え切っていた。指先に知るその冷たさに、この優しい人の絶望を思う。触れた先から流れ込んでくる声なき慟哭に、この悲しい人の優しさを思う。
頷きたくなどない。離れたくなどない。傍にいるのだと誓った。その傍で、その存在を預かるのだと。
けれど、頷く以外の選択肢を、は持ち合わせていない。どれほどそれは嫌だと泣き叫ぼうとも、それこそが選び取るべき道だと知るほどには、は世界の理を知ってしまっている。
歪んだ視界の中で、知盛の白い肌を覆う朽葉色の狩衣にぽつぽつと染みが広がっていくのを見ていた。認めたくなどない現実こそ、夢になってしまえばいいのに。絡げられた御簾の向こうからわずかに射す星明りだけが頼りの世界は、夢と違って明確に音を持ち、色を持ち、温度を持っている。
頷いた拍子に頬を伝った熱い涙を、無骨で冷たい指が、優しく掬う。
「お前が俺を殺しに来る日を枷に、よすがに、俺は一門を滅びへと導こう」
耳元に落とされる声は、静穏。夜闇のような、底の知れない静寂の音。
「……お前と共に、生きてみたかった」
涙を拭いながら頬を覆った冷たい掌で顔を持ち上げさせ、そのまま重ねられた唇もまた、悲しいほどに冷え切っていた。
Fin.