刃は折れた
夢を見ていた。走馬灯のような、記憶を走り抜ける夢だ。
夢と知ってまどろむ夢は、温度もなく、色もなく、音もない。黒白の世界。あまりに遠い、現実。
哀しげに目を伏せている姿ばかりが重ねられていく。何よりも見慣れた表情が、それだった。
富士川での大敗を聞いた時。将臣の存在を明かした時。南都での失火を聞いた時。清盛の死を、語った時。
安らかに眠る、と。その言葉にこれほどまで縁遠い人を、はじめて見た。その寝顔はいつでも疲れ切っていて、それが徐々に酷くなっていくのを余さず見ていた。何かを振り払うように伸ばされ、回され、確かめるように力を篭める腕が微塵も震えていないことが、悲しかった。
優しくも力強い腕の持ち主だった。その腕に抱かれると、とても安心していられた。どこにいても、誰に対しても敗北を知らない人。そうやって誰よりも強くありながら、腕の中に抱え込むすべてを守ってくれる人なのだと、そのことを知っていた。
けれど、いつだって彼の瞳は、どこか哀しげに伏せられていることが多かった。
目を覚ましたのは、目覚めを誘う気配を感じたからだった。頬を、額を、くすぐるように撫でていく、冷たい指先がある。
「大事、ないか?」
瞼を持ち上げるよりも先に、そっと降り注ぐ声があった。声は単調で、でも優しかった。ずっと帰りを待ちわびていた相手の変わりなさに、ほっと息をつきながら視界に光を求める。夜闇の中、部屋に灯りも入れずにじっと見下ろしてくる瞳は、どこか悲しげだった。
「倶利伽羅は、地獄のようだった」
ついていきたかったのに、せっかく貴船で精進潔斎したのだからと言って、知盛は今回の悠月の参戦を許さなかった。仕方ないから邸でおとなしく留守居をしていたのだが、大敗の報せを携えた先触れの使者がやってきて以後、やはり体調を崩して伏せる日々が続いたから、ついていかなかったことは正解だったのかもしれない。
何が原因かがわからない、というのは非常にもどかしいものがあったが、貴船に放り込まれたということは、自身の内包する特異な能力ゆえなのだろうと察している。正負は表裏一体のもの。長所があれば短所があるという理屈はわかっていたが、活用することなどほとんどない力ゆえにこうも自由を奪われると、どうにも理不尽な思いばかりが募る。
「お前を置いていったのは、正しかったな」
自嘲なのか揶揄なのか、とにかく仄かに嗤いを絡めた声で、知盛は低く低く、呟いている。こういう時の彼は、別に相槌など必要としていないし、悠月の意見など求めてはいない。いつだって、自分の中で勝手に考えて勝手に完結して、その結論しか言葉にしないのだから。
手すさびのように髪先をいじっていた指が、頬に戻ってくる。
「我らは敗れた……木曽の勢いは、もう止まらぬ」
独り言のような、けれど明確に言い聞かせる意思を載せた声が、続く。
「遠からず、都を落ちる」
「六波羅を、捨てるのですか?」
「腐敗した京の都に執着することに、意味はない……。有川が、な。そう、言うのだ」
あまりの驚愕に問い返し、そして声が掠れていることにはじめて喉の渇きを自覚する。思わず小さく咽てしまったことですべてを諒解したのだろう。枕辺の提子から伏せてあった椀に水を汲み、上体を引き起こして口元へと押し当てられる。主に世話を焼かれることも、もう慣れた。彼は、手の届くところにある自分よりも脆弱な存在に対し、どうにも過保護になるきらいがある。
「お前は、それに乗じて源氏につけ」
椀をそのまま受け取り、喉を潤してほっと息をついたところに、降ってきたのはけれど声を奪うほどの衝撃。ひゅっと喉を鳴らし、息を吸い込んで振り仰ぐ間近な深紫の双眸は、ただ透明な光を湛えるばかり。
Fin.