朔夜のうさぎは夢を見る

刃は折れた

 優しい思い出の詰まった邸が、紅蓮の炎に包まれて崩れ落ちていく。夜空を焦がすように天へと駆け上る炎は、荘厳なまでに美しい。
「参りましょう」
 愛馬に跨ったまま遠く六波羅の惨状を見やっていたの背から、そっと、穏やかな声がかけられる。ちらと肩越しに振り返れば、それぞれの愛馬の手綱を引き、同じように六波羅の方角を見つめている武士達がいる。
「我ら一同、源氏の名は裏切れませぬ。ですが、新中納言様より賜りましたご恩も、忘れませぬ」
「ゆえ、参りましょう。御身と共に」
「御身を守り、御身の下知に従い、共に平家に刃を向けましょう」
 を仰ぐと告げ、付き従うは源氏の名の許に集う御家人達。けれど知盛に魅せられた、郎党達。
「……わたしが何者かを、ご存知なのですか?」
「その馬を見れば、おのずと知れると申すもの」
 今宵のは、狩衣を纏って髪を結い上げ、簡易の男装に身をやつしている。鎧も着ていなければ太刀も佩かず、まして仮面など身につけていないというのに、まるで将を仰ぐかのような様子で佇む面々に問えば、仄かな苦笑交じりの声が返される。


 が跨るのは、月明かりを固めたかのような美しい白馬。お前はその髪が夜闇を思わせるゆえ、馬は月や星を思わせるほうが良いと、思いがけず雅やかな感性を発揮して主より与えられた馬は、実に気位が高く扱いづらい、そして類稀なる駿馬だった。
 刀の扱いを教えるだけでは飽き足らず馬まで与えられたのは、の宣した「戦場でもその背を預かる」という願いに応えてのことだと知っている。知盛が自身の愛馬と並んで重用していたという白馬はいまや、どの戦場においても圧倒的に経験の足りないを実に見事に補ってくれる、心強い相棒である。
「委細は問いませぬ。ただ、我ら一同、御身を無事に東国までと言付かっております」
 静かに、凛とした意志の強さを湛えて手向けられた言葉に、はもう一度六波羅を振り返る。最後の最後まで、どうして彼はこうも優しく、限りなく自分を甘やかしてくれるのか。これでは、どうしたって約束を果たさねばならないではないか。


 言葉にならない思いをすべて胸に沈め、はひとつ呼吸をはさむとその瞳に容赦のない光を宿す。これよりこの身は軍場をこそ生きるべき場所と定める鬼となる。誰よりも激しく先陣を、誰よりも容赦なく駆け抜ける。平家に滅びを齎す、禍神となる。
 馬首を巡らせ、ついと睥睨すれば息を呑む気配がさざなみのように広がり、そして夜闇に溶ける。
「この身に従うと、その意に二心はありませんか」
 背筋を凛と伸ばし、上に立つものとしての己を意識する。兵達の前では、決して俯くなと。迷わず、すべてを薙ぎ払えと。その教えを胸に、は彼らも知っているだろう己の負う奇跡を存分に笠に着てやることにする。
「一時は主と仰いだ方に、矢を射掛け、刃を向け、そして滅びへと追い立てる覚悟はありますか」
 将は勝利を確信し、確約してこそ。自分と共に戦乱を駆け抜ければ戦功を手にできる。そう示すことができているうちは、兵は将の下知に従うもの。底冷えする冷厳たる声に、御家人衆が息を詰め、そして次々に膝を折る姿をは無感動に見下ろす。
「わたしに従うのなら、わたしは持てる力の全てをもっての勝利を約しましょう。鎌倉殿の築く新たな御世のため、古きしがらみの一切を屠り、その道を拓く曙となりましょう」
「――お供いたします」
 繋いだ言葉は、自身の迷いに向ける訣別のつもりでもあった。いっそう深く沈む数々の頭を前に、は「行きましょう」と呟いて愛馬の腹に軽く足を当てる。向かうは遠く、鎌倉へ。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。