朔夜のうさぎは夢を見る

眠れねむれと誘う声

 無事に奥州に辿りつき、何とか全員が腰を落ち着けた頃、知盛はようやく神子を捉まえる機会を得ることができた。
 実は一行の中では一番の重傷者であり、強行軍の道中では気力でもたせたものの、生まれついての蒲柳の質。精神的なゆとりができるや崩れた体調を、自覚するよりも先に源氏の元軍師殿に指摘されたのは癪だったが、おかげで労せずして源氏の神子との会話の機会を得られたから相殺にしておこうと決める。
「私に聞きたいことがあるんでしょう?」
「神子殿は、慧眼をお持ちなご様子」
 疲労と傷からくる高熱は引いたものの、長引く微熱に臥せっていた枕辺にやってきて、遠慮も前置きもなく切り出すその単刀直入さはさすが幼馴染といったところか。妙なところがよく似通っていると、含み笑いをそれでも不機嫌になられてはたまらないと噛み殺し、知盛は客を迎え入れるために起こした体に上掛けにしていた衣をかけ、姿勢を正した。


「俺は軍場でしかお会いした記憶がないが……、重衛のことは、いずこで?」
 無言で促す視線に素直に甘えて、まずはきっかけを問い質す。
「あの“銀”とやらが“重衛”だと、そう、確信しておいでなのだろう? 敦盛でさえ半信半疑だったというのに、なぜ、神子殿がそう言い切れる?」
 わからないことは、それこそ山積み。どこで出会い、どこで知り、どこでわかりあったのか。三年を共にした義兄にわからず、生まれてよりの付き合いである従弟も信じ切れていなかったのに、逢瀬を重ねられたところで一年にも満たないだろうこの娘に、一体何の根拠があるのか。
「そも、なぜ俺があそこで入水すると『知って』いた?」
 未来を見透かしたような言動。自身でさえ知らぬ一面を見透かす振る舞い。そう、例えばあの入水を阻む上で、神子は実に絶妙の間合いで術を発動させた。術の発動のための予備動作の時間を考えれば、あれは知盛が動きを見せ、対峙する面々が何かしらを悟るよりも早い段階で発動の準備に入らねば間に合うはずもない。
「神子殿は、あまりにも多くを知りすぎているように、思える。――いったい、どこで、何を見知った……?」
 口に出せば出すほど、疑問は深くなっていく。つまるところ、少女の存在はあまりにも不自然。そして、不意に思い至った可能性には口を噤んだまま、知盛は静かに眼光を強める。すべてを見極めるために。


 対する少女は臆した様子もなく、静かな決意の満ち満ちた瞳で知盛を見返してきた。
「あなたには下手な嘘や誤魔化しは通じないよね。だから全部話すよ」
 血に濡れ、刀を振りかざし、軍場を駆け抜けるその姿こそが美しく、修羅を思わせるばかりだった少女が、真逆の悟りを醸し出す。
「でも、誰にも言わないで欲しいの。必要なときが来れば、私から話す。あなたには今必要で、でも、皆にはまだ必要がないから」
 そして暫しの瞑目。声の深さといい、纏う空気の静謐さといい、ようやく思い至った形容は釈迦。相反する二つの存在を、しかし矛盾なく内包する娘の懇願に、小さく頷くことで知盛は話の先を促す。
「私はね、時空を超えてここに辿りついたの。いくつもの歴史を辿って、すべての人を助けられる可能性を探して、ここまで歴史を繰り返してきたんだよ」
 告げられたのは衝撃の事実。しかし、知盛にとってそれは、衝撃以上の納得をもたらす告白だった。


 神子として選ばれた瞬間に始まり、剣技を身につけた経緯、平家を宿敵と定めて軍場を駆けることになった理由、始まった運命の上書き。その中で見続けてきた各々の事情と、それゆえに昇華された敵への憎悪。そして芽生えた恋心と自ら負った枷。
 淡々と、少女の朱唇によってありえない現実が綴られていく。衝撃と、そして本来の己ならば間違いなく嫌悪さえ抱くだろう言葉の海に、しかし知盛は静かに身を浸す。不可解さを考察するのは、すべてを知ってより後でもいいはずだ。
「何度も何度もやり直して、ようやくみんな助けることができるようになった。でも、どうしても。どうしてもあなたと銀のことが助けられない」
 ぎりりと唇を噛み、膝に乗せた両手を握り締め、神子の声は底なしの絶望と疲弊とを滲ませる。
「どうしてだろう、って考えて、それで今回ようやくあなたが壇ノ浦で死なない運命に辿りついたの」
「……」
「私には、運命を書き替えた責任がある。すべてを負うことはできないけれど、でも、私はだから、私が知る限りの“私のせいで運命の変わった”すべての人を生かすことを、最低限の責任と決めた」
 持ち上げられた視線が、ただ静謐に、しかし容赦なく知盛の双眸を射抜く。
「銀のことをよく知っているあなたがいれば、きっと助けられる。私の勝手な思いにつき合わせていることはわかっているよ。だから、対価には何を要求してくれてもいい。私にできることなら、何だってするから。だからお願い、力を貸して」
 疑問が、ひとつずつ氷解していく。ああ、なるほど。本当に、それしか言いようがない。なるほど、お前はすべてを知り、すべてを受け入れ、すべてを呑み、そしてすべてを懸けてここにいる。だからお前は、矛盾を道理へと昇華させている。
「お願い、力を貸して。私のためだけじゃなくて、重衛さんのためにも。だって、あなた、重衛さんのことを話すとき、すごく優しい目をしてた」
 語られた運命のどこかで、もしかしたら自分ではない“知盛”もまた彼女に出会っていたのだろうかとぼんやり考える。いずれにせよ、話を聞いてわかったことがもうひとつある。
 己がなぜ海に身を投げるたびに目を覚まさねばならないのか。それは、図らずも自分がその時空の跳躍とやらを行なっているからなのだろう。


 理解を超えた納得は、同時に知盛にそもそものきっかけを思い起こさせた。問うても詮無いことかと胸にしまっていたもうひとつの疑問を、だから知盛は言葉へと変える。
「幾年前になるか……。お前、春に六波羅に来たことはないか? 桜の季節……十六夜の月夜に」
「……どうしてそれを? 銀に聞いたの?」
「いや。だが、俺は、そこで妙な女に会った」
 御簾の向こうから知盛を“銀”と呼び、必ず助けに行くから待っていろと泣いていた。今ならばわかる。あの時の推察はどこまでも正しく、そしてこの未来に繋がっていたのだろうと。
「あれは……、お前では、ないのか?」
 声を震わせずにすんだのは、ひとえに己の性情のおかげ。何を恐れているのか、何に怯えているのか。自分でもまだ見極めきれいていないそれを胸の奥に隠し、なにげなさを装って紡ぐのは根源にも繋がる問い。
「ううん、違う」
 知盛の胸中での葛藤を知らずに、返されたのはあっけないほどの声。
「確かに私は春の六波羅に跳んだことがあるよ。それがあなたにとっての何年前か、まではよくわからないけど」
 ふと何かを懐かしむように双眸を細め、神子は答える。
「そこではじめて銀に会って、私は“十六夜の君”と呼ばれた……。でも、あれは銀だよ。あなたじゃなかった」
「そう、か……」
 そうして返された否定は、嬉しくも悲しくもある真実だった。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。