ただその道を往く
切り落とすことはたやすく、けれど切り落とすわけにはいかなかった。
「虚無はな、幾度も幾度も枝を落とすのよ。その先の葉のひとつ、花弁のひとつが違うと言って切り落とす。己の見たそのひとつの道ゆえに、繋がるすべてを拒絶する」
そして繰り返す。幾度も幾度も切り落としたその切り口から、寸分違わぬ、しかしその先の葉のひとつ、花弁のひとつが違う枝を伸ばさせる。
本来ならば、幾重にも分かたれ、並びて存在するはずの枝を、しかし虚無はヒトの持ちえざる力を持ったがゆえ、ただひとつしか伸ばすことが出来ぬ。ただでさえその制約を受けているところに、辿る道が異なるだけだというのに、幾度となく枝を切り落とされていては、その枝は弱る。弱れども枯らすわけにはゆかぬゆえ、他の枝、そして大元たる幹や根から、過剰なほどに力を吸い取る。
「はじめは比較的細い枝葉で行われていたのだがな。徐々に、徐々に、それは太い枝を辿りはじめた。抜本の幹まではゆかぬよ、けれど」
言葉を切り、振り返る瞳はただ深い。
「見過ごすわけにはいかないほどの疲弊が、世界の端々に現れはじめた」
それは、ただひたすらに、憂いのひといろで塗り篭められた声だった。
声もなく聞き入っていた知盛に、神はついと指を伸べた。
「お前を飛ばしたのは、これの力ではない」
何も持たない白い指先に、しかし、唐突に光が凝集し、見覚えのある乳白色の鱗がつままれている。
「我らには天命をつまびらかに知る術はない。だが、そのモノが大いなる枝となるか否かは、視える。お前は、そんな枝の一振りにあたる」
自覚はあるだろう、と。現れた鱗をもてあそびながら笑い混じりに問いかけられ、知盛は静かに首肯した。
「平家の隆盛は、貴族の世に咲きし徒花。形骸と化した貴族政治の、終焉を告げる露払い。我らの存在が源氏の復興を促し、戦乱を招き、続く新しき秩序のための轍となる」
それは、神の指摘どおり『見知って』きたからこその言であり、そうでなくとも薄々と感じていること。父は、急ぎすぎたのだと。
「だが、この身はさほどの枝にはなれますまい。なれたとしても、その“虚無”が拒絶する……いかがか?」
そして、思い知ったこと。神の示す“虚無”を、知盛は正しく知っていた。世界を逍遥し、やがて帰り着いたこの世界でなさんと欲したことを、しかし“虚無”は拒絶するだろう。幾度かはわからない繰り返しの後に、あるいは己の求める道を辿ってくれれば、それとは別の道であろうこの枝はそのまま葉を茂らせることを許され、知盛の願いは成就するのかもしれない。だが、その時が“今”でない場合、それは決してありえない道だ。
知盛はやはり知っている。この“知盛”を除き、時流に逆らってまでこんな馬鹿げたことをなさんと欲する“平知盛”は、存在しないのだと。
所詮、滅びの道は変わらぬのかと、悟った心境は悲嘆ではなく哀切だった。致し方のないこと。なれど、ならばこそなすべきことがある。いずれ出逢うだろう年下の“兄”を、自分の傍らにあると誓った鞘を、沈む泥舟から確実に逃す責務が。
「我らの介入がなくば、な」
近くはない、けれど決して遠くもない日々に思いを馳せていたため、だから、知盛はその神の言葉に過ぎるほど大袈裟な反応を示していた。気づけば俯けていた視線を跳ね上げ、まじまじと見開いて、見慣れたはずの、そして知らぬ表情を凝視する。
「言っただろう? これは、我らの呼んだカンナギ」
言いながら己の胸元に手をあて、娘はついと口の端を持ち上げる。
「あるいは神子と――そう呼べば、お前にもわかるか?」
それは意図。あまりにも明白な、あまりにも信じがたい。
「……その力を、この世界に及ぼされる気か」
見守るだけと、そう朗じた存在でありながら世界に介入するなどと。
知らずわななく声で呻くように問い返した知盛にいかにも愉快と言わんばかりの視線を投げてから、そして神は微笑んだ。
「それが、ヒトでありながらヒトの枠を超えさせたお前への、我らからの対価だよ」
与えられた答に今度こそ声を失った知盛を、神は慈愛に満ちた透明な瞳で見やる。
「この世界にあの龍神が在る以上、虚無は必要な存在だ。そして、既に現れてしまった“虚無がヒトならざる力を手にする”という枝は、切り捨てることができないほどに広がってしまった」
虚無を否定することはできない。けれど、虚無を放置することもできない。ではどうすればいいか。その打開策として分かたれた枝のひとつがこの世界なのだと、神は告げる。
「完全に禍根を絶つことはできないが、先も言ったね。世界は矛盾を飲み下せる。ゆえに、虚無を飲み下せるほどに、虚無が“虚無”ではない枝葉を増やすことが、我らにできる唯一の選択だった」
そのために、我らは我らの力を降ろせるだけの器を探し、そのカンナギを枝葉のあちらこちらへと送り込んだ。
「我らのような神は、いわば影だ。世界を俯瞰する本体から別たれた、“この世界に在る神”という影。今の私は、元よりこの世界に在る“私”とは別の存在。お前にこの“対価”を与えるために別たれた、新しい影。そして、影は影の数だけ意思を持ち、影の数だけカンナギを持つ」
「では、その娘は“この世界の高淤加美神”の神子であると?」
「然り」
お前は頭がいいね。小さく笑い、掠れる声を無理矢理に絞り出した知盛に神は続ける。
「もっとも、カンナギを送ったからといって、枝葉が広がるとは限らない。枝葉を広げるのは、あくまでヒトだ」
カンナギが、神を降ろせる器であることと、大いなる枝となるか、あるいはその枝を生じさせるほどの力を持てるかは別の話。それはカンナギの天命であり、ヒトとしての在り方。そこは我らが手を出せる領分ではない。
「広がった枝葉もあり、広がらなんだ枝葉もある。いまだ先の見えぬ枝葉もある。例えば、この世界のようにな」
そしておもむろに、神はもてあそんでいた鱗を指先で砕く。
Fin.