朔夜のうさぎは夢を見る

玲瓏なる思惟

 視線を感じたのか、顔を上げた白龍はびくりと瞳を揺らし、けれどすぐに落ち着いた様子で真っ直ぐに影を見返す。
「私を、滅するの?」
「ああ、そういう結末も面白いね」
 カタチを模すと、器の思惑に随分と染まるね。そう愉しげに喉を鳴らし、しかしすぐに笑いを収めて影は轟然と顔を上げて己を睨み据える望美へと視線をずらす。
「無論、そんなことはしないさ。神を滅するというのは、お前達が思う以上に大事なのだよ」
「逆鱗のことは、壊したじゃない」
「アレは、既に神性を喪っていた。ヒトの意にて力をばらまくだけの、性質の悪い呪具のようなもの」
 呻くようにぶつけられた詰りにあっさりと切り返し、影は再び白龍へと視線を向ける。
「お前達の力を削ごう。五行の廻りを見守り、その流れを整えることは許す。だが、それだけだ。お前達を祀ったところで、呪ったところで、もはや栄華への関与なぞありえない。ただ、流れの行く末を、ほんの少しずつ整えながら、ひたすらに見守ることだけ」
「……滅びさえ、喰い止められないの?」
「世の流れを定めるは人の子よ。なれば、人の子らがその道を行くなら、我らは受け入れるだけだ」
 言いながら再び無手に戻った指先を差し伸べ、影は淡く光る蒼焔を灯す。そのまま指から地へと落とされた蒼焔はまっすぐに白龍の許へと奔り、その身の内へと音もなく呑みこまれていく。
「その枠をどうしても超えたいというなら、超えればいいさ。……ただ、その力が私の与えた焔に抗っていられる間のみ、だが」
「超えれば、私は滅びるんだね」
「そして、二度と生じることはない。京を守護する応龍という存在は、永劫にこの世界から消え去る」
 息を呑んだこの世界を出自とする面々には見向きもせず、神妙な表情で頷いた白龍を見やってから、影はついと将臣を振り返る。


 将臣の見たことのない表情だったが、影は確かに“彼女の笑顔”を浮かべた。ああ、こんな風に笑えたんだろうな、と思い、こんな風に笑ってほしかったな、と思った。穏やかで、誇らしげで、帰る場所を知っている笑顔だった。
「この世界は、過去と未来をやがて喪う。そして、数多の世界に満ちて、巡る」
 蒸し返された話題は先のものだ。自分の差し向けた絶望に答えてもらえるのだろうと察し、将臣はぐっと拳を握る。
「お前達の悔悟と自責が満たされる先に、組み込まれるということ」
 この世界にひたすらに詰め込まれた絶望を、いずこかの世界の歓喜に繋げ、振り払うということ。ふわりと細められた双眸は憐憫を湛えて、絶望と怨嗟の底にうずくまる白龍の神子を撫でる。
「お前達にとって、何が変わるという感覚はない。これは、神の感慨。ゆえ、お前達はただひたすらに、己で定めたただひとつの道を、これまで以上にひたむきに生きればいい」
「その先に未来がないなら、何があるんだ?」
「世界の慈悲にて許される夢が」
 慈しむように胸元に手を当て、影は告げる。
「ありうべからず魂の二律背反は、分かたれることによって秩序となる。求めあう魂はあるべきように寄り添い、終わらぬ螺旋の先は、望んだ以上の終焉によって凌駕される」
 この世界の未来は喪われたけれど、お前達の魂は救われるのだよ。恥ずかしくないようにお生き、ヒトの子らよ。


 欲して欲して、けれど堕ちてこないと知って、強奪するのではなくそっと送り出すことを選んだ男がいた。それでもきっと諦められなかったのだろう。次にまた出逢えればと願ったのだろう。最期の瞬間に愛しげに名を呼んでいたと聞いた。
 晴れやかに笑って別れを告げられた。それを美しいと感じた。本当に好きだった。誰よりも信頼していて、それゆえに残酷な選択をさらりと担ってもらった。思い返せばたったの四年。適うならば永劫に続けと願った、手放したくない縁だった。
 あの男は最後に彼女の名を呼んでいて、将臣が生き延びることを願ってくれた。
「絶望の底ですべてを呪いながら生きるのも、希望を夢見て生きるのも、好きにすると良い。いずれにせよ、時の流れは不可逆のもの。抗うことは、その心を壊すことだと、いい加減に知れ」
「……何が言いたいの?」
「私は何も告げないよ。だが、お前は知る。お前の犯した、理への反逆の意味を」
 虚ろの向こうに憎悪と憤怒を燻ぶらせた新緑の瞳に、影は明らかに憐れみを浮かべて言葉を編んだ。
「ヒトへとお戻り、終わりを喪いし虚無。絶望を絶望と気づけぬ、憐れな子供達」
 言いながら差し伸べられた指先に、足元で揺らめいていた蒼焔が纏いつく。
「時を超えるということの意味を、我らが愛し子の紡いだ狂気に知ると良い」
 そのままふわりと宙に滲んだ蒼焔は、霞となって拡散した。何をしたかったのかといぶかしんで眉を顰めたのは、瞬くほどの時間だけ。胸の底から込み上げてくるあまりにも苦く切ない衝動に、将臣は不器用な義弟の思いが決して報われていなかったわけではないことを、いまさらのように思い知る。覚えのないこの深い深い懺悔と狂気が、彼女の抱いた絶望であり恋情であると、願っていたのだ。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。