軌跡を生むもの
上機嫌の清盛によって客人――有川将臣と引き合わされた一門の面々は、その表現は様々なれど、一様に同じ反応を示していた。すなわち、はじまりとなったあの夜に、知盛や郎党、そして清盛が示したのと同じ反応である。
食客として世話になる以上、このぐらいは安い対価だと言って珍獣扱いの見世物状態を許容していた将臣だったが、しかしそれが気に障るか障らないかといえば、前者だったのだろう。出遭いの現場に居合わせたという事実も手伝ってか、用向きがあって清盛邸を知盛が訪れる折には、どこかしらで聞きつけて、必ず避難してくるのが習慣となりつつあった。
「……で? 今日は一体、どこのどなたから逃げてきたというんだ?」
「逃げてきたって……変な言い方するなよ。お前に会いにきただけだ」
「ほぉ、これはこれは。お心に留めていただけて、まこと恐悦至極……とでも、申し上げておこうか」
「やめろ、気色悪ぃ。そんなこと、ちっとも思っちゃないくせに」
「……ご機嫌を損ねてしまったかな」
福原への強引な遷都から半年。周囲の強い要望に応えた形での京への再度の遷都後の混乱に加えて年の瀬の慌しさもあり、清盛の邸は全体がバタバタと浮き足立っている。その騒ぎに乗じて、珍しくも将臣に捕まらずに退出しかけた知盛だったが、廂を進む途中で御簾の隙間からはっしと袖を掴まれて今に至る。
まだ日の沈まないうちから酒を飲むわけにはいかないと、妙に律儀な客人は、何を好き好んでか白湯の代わりに薬湯を所望することが多い。茶葉を煎じただけのそれは他の薬湯に比べて苦味が薄く、どこか甘味を含んだ香を持つのが特徴的だ。そもそもの蒲柳の質を気遣ってか、朝夕の食膳に供されることが常となっている己の邸が特殊なのは知盛も知るところ。そういう事情があるわけでもないのにあえて好むとは、妙な嗜好を持っているものだと、知盛は目を瞬かせるばかりである。
逗留しはじめて十日ほどは、身の回りのことを覚え、つつがなく生活する術を身につけることに精一杯のようだった。それがようやく様になってきた頃、実は探し人がいるのだと言い出した。人を使って探してやろうと申し出た清盛にすまなそうな表情で頭を下げながら、同時に将臣が続けたのは、自分でも探しにいけるだけの力を身につけたいという願いだった。
馬に一人で乗ることもできず、刀の握り方、弓の構え方さえろくに知らない。そも体力も筋力も信じられないほどに脆弱で、指南役を清盛から直々に申し付けられた知盛は、一体どこの貴族の姫君かと皮肉ることを堪え切れなかった。
それでも、知盛が忙しい折には自分で型をさらい、体を鍛え、重衡や経正といった見知った相手を捉まえては鍛錬の相手を乞うていたらしい。そろそろ半年が過ぎようかというこの頃の将臣は、はじめの夜に知盛が見込んだとおり、いっそ見事なほどの才能の開花をみせている。
一方、手習いは渋々はじめてみたものの、舞や歌、楽といった類の雅事はことごとく壊滅的であり、自覚があるのか徹底的に逃げて回る。そのくせ惟盛の舞う姿や敦盛の笛に酔いしれることは好きなのだから、まったくもって不可解極まりない存在だった。
他愛のない話をあれこれと向けてくるのに適当に相槌を打ち、時に放たれる鋭い質問をのらりくらりとかわしながら、知盛は枯れ庭の侘しさを愛でる。衰退の足音は、もうすぐそこに。先の富士川における一戦では、源氏方の勢いを思い知らされたばかり。きな臭さと嫌な緊張が高まり続ける時流の中で、どうやったらこの無関係で間の悪い客人を逃れさせてやれるかというのが、一門の中枢に集う一部の面々にとっての、目下の懸案事項なのだ。
「………お前、人の話聞いてんのか?」
「ああ、聞いてるぜ?」
「へぇ。じゃあ、俺は今何を話してた?」
「……帝に、異世界とやらのことを聞かれていたのだろう? 海の向こうの、宋よりもなお西の国々……俺には、想像もつかんがな」
つらつらと耽っていた思考から無理やり引き戻され、不機嫌な声には笑い含みの声を。答えに窮することを想定していたのだろう将臣は、一層不機嫌そうに鼻を鳴らすが、知盛の思惟は止まらない。
手の内でもてあそんでいた椀の中身を一口啜り、唇を湿してからゆるりと紡ぐ。
「西と、北と……。お前は、どちらが良い?」
「あ? なんだよ、いきなり」
「住まうなら、どちらが良いかと聞いている」
視線は庭から動かさず、隣で身じろぐ気配にも微塵の反応さえ示さない。ただ、早く問わねばと思い続けていた選択肢が舌を動かすに任せる。
「西ならば、長門国のいずこか、あるいは太宰府近辺になるか。北は、奥州だな。……平泉は、美しく豊かな国と聞く」
もしくは、今ならまだ熊野という選択肢もある。いずれにせよ、お前の故郷と同じだという鎌倉は、無理だがな。
抽象的な、もって回したような物言いは知盛の常であり、あえての罠でもある。どうか気づいてくれるな、気づかずにかかってしまえば良い。そう思う一方で、きっと客人は自分の言わんとしていること、なさんとしていることに気づき、猛反発するのだろうとも悟っている。
案の定、しばらく言葉の意味を取りかねて目を円く見開いていた将臣は、一気に眉間に皺を寄せ、剣呑な空気を撒き散らして知盛を呼ぶ。
「どういうことだよ」
「どうも、こうも。お前の希望を聞こうと、そういうこと……だが?」
「俺の希望も何も、だったらどうしてこのまま六波羅にいるっていう選択肢がねえんだよ? 俺が、邪魔になったのか?」
「あえてその選択肢を外した意味を……、察せぬほどに暗愚とは、思っていなかったのだが、な?」
含みをもたせた物言いでちらと口の端を歪めれば、予想どおりの苦い表情が返される。だから興味が尽きないと思う一方、だから彼は自分では救えないとも悟る、そんな瞬間だ。
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