朔夜のうさぎは夢を見る

将来を彷彿とさせます 〜ちびっこコミュニケーション〜

 そのまま知盛少年にとって見知らぬ相手となってしまった室内の面々が簡単に名前だけの自己紹介を終えた頃、パタパタと軽い足音を連れて、着替えのために部屋を離れていた達が戻ってきた。
「あ、目が覚めたんだ!」
 ひょいと顔を覗かせるや、あっという間に満面の笑みを浮かべては知盛に駆け寄る。
「よかった。もう苦しくない? 大丈夫?」
「もうなんともない。大丈夫だ。心配をさせたか?」
「心配だったけど、大丈夫なら大丈夫」
「そうか」
 小さな両手を互いに握り合い、目線を合わせてにっこりと笑いあう姿は微笑ましい。見慣れない穏やかであまやかな知盛の様子に、幼い容貌とはいえ違和感を禁じえなかった望美達も、もはや絆されて見守るばかりである。
「あのね、さっき重衡さんからお名前を聞いたの。でも、あなたからはまだ聞いていないから、自己紹介をしましょう?」
 言いながら手を離して背筋を伸ばし、姿勢を整えたにふと思い立った様子で知盛が先んじて指を伸ばす。
「明かさぬ方が良い。五郎……重衡らはともかく、俺には決して」
「どうして?」
 言葉を口内に留めるように唇に添えられた指からわずかに身を引き、は小さく首を傾げる。
「叉聞くならともかく、お前の口から真名を告げられれば、その魂を縛りかねん……。お前の父御や母御は、ここにはおらぬのだろう?」
「……うん。だってわたし、お着物を着るのなんか、お正月と夏祭りだけだもん」
「なればなおのことだ。お前が迷い蝶であるのなら、醒める。ゆえ、それまでその身をいたずらに縛るような真似は、慎む方が良い」
 淡々とした口調で理路整然と理由を告げ、そして知盛はよくわかっていないらしくも頷いて了承を示すに穏やかに微笑む。
「でも、だったらどうしよう? お名前はなし?」
「うたかた限りの名を用立てればいいさ。……そうだな。意に染まずして地に落とされるは、月の都のものと決まっている。桂の君か、あるいはなよ竹のかぐや姫と?」
「わたし、そんなに美人じゃないもん」
 そう言ってふいと横を向いてしまってから、しかしすぐさま気を取り直しては笑う。


 くるりと目を瞬かせ、いたずらげに笑って見上げる様は微笑ましい。
「さっき、わたしのことをちょうちょって言ったよね?」
「そちらが気に入ったのか?」
「うん。ちょうちょは好きよ。弟がね、毎年アゲハチョウの幼虫を飼っているの」
「……揚羽は好きか?」
「大好き! 綺麗で、かっこいいもの。ちょうちょの女王様」
「そうか……それはまた、奇縁であることだ」
 純粋にアゲハチョウが好きだと笑うに、恐らく知盛は自分達一門の冠する揚羽紋を重ねて笑ったのだろう。眩しそうに目を細め、それから「では」と呟く。
「俺はお前のことを揚羽と呼ぼう。俺の名は、知っているのだな?」
「うん。でも、呼んじゃいけないなら、呼ばないよ?」
 どうやら先ほど名乗るなと告げられた際の理屈を、理解しきれないながらも意識しているらしく、気遣わしげに覗き込まれて知盛は淡く苦笑した。
「構わんさ。俺は、お前と違って還る先なぞないからな」
 言って悲しげに歪んだ双眸を見つめ、はその小さな手で知盛の頭を撫でてやる。
「じゃあ、わたしがずーっと呼んでてあげる。そうしたら、あなたはここに帰れるようになるのよね?」
 だから、あなたの名前を、あなたが教えて。そう真っ直ぐに問いかけられ、わずかに目を見開いていた知盛はくしゃりと表情を歪ませてから、それでもやはり真っ直ぐに返す。
「呼び名は様々にあるが――まっとうしたいと願った名は、知盛、と」
「強そうで、かっこいいお名前だね」
「名に恥じぬよう、在れればよかったのだがな」
「知盛くんは、自分のお名前が嫌いなの?」
「……重い」
 むぅ、と唇を尖らせたに、宥めるような苦笑を送って知盛は「嫌いではない」と付け足す。
「あのね、素敵なお名前っていうことは、知盛くんのお父さんとお母さんが、知盛くんのことを大好きな証拠なんだよ」
「………そう、思うのか?」
 あどけない様子の知盛よりもなお幼げな外見だというのに、まるで年下の子供に言い聞かせるような調子では訝しげな知盛に力強く頷く。
「お名前は、だって、一番大切な贈り物なの。たくさんたくさん、いろんなお願いを篭めて、つけるの。だから、」
 そこで一旦言葉を区切り、は心底嬉しそうに、晴れやかに笑う。
「大丈夫だよ。知盛くんが違うよって思っても、わたしがたくさん呼ぶよ。いっぱいお願いを篭めて、呼ぶの。だから、大丈夫。あなたは、お名前がすごく似合う、とってもかっこよくて強い人だよ」

Fin.

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