そんなお約束はいらない 〜陰陽師・非・万能説〜
既に用意の終わっていた食事を温めなおし、配膳も終わろうかという段になって、不穏な未来はまず騒々しい足音の二重奏によって近づいてきた。元々にぎやかな足音を引き連れて移動する将臣はともかく、景時にしては珍しい姿である。誰もが手を止め、何だなんだと視線を巡らせた先に、現れたのは予想通りの二つの人影と、その腕に抱えられた小柄な人影がひとつずつ。
「弁慶ッ! コイツ診てくれッ!!」
「さ、朔〜! 泣き止んでくれないんだけど、お願いできないかい?」
血相を変えて飛び込んできた将臣はわき目も振らずに腕利きの薬師の許に慌てて駆け寄り、両手でしかと胸に抱きこんでいた人影をずいと突きつける。体に大きさのあっていないらしい縹の単衣にくるまれていたのは七、八歳ほどの子供で、傍目にも明らかな顔色の悪さに浅く繰り返される呼吸が見るも痛々しい。景時が抱いていたのもやはり大きさのあわない淡紅色の単衣にくるまれた、年齢も同じほどの子供だったが、こちらはひどく怯えきった様子で体を丸め、肩を揺らしてはしゃくりあげている。
言いたいことは様々にあったのだろうが、現実は待ってくれない。すぐさま薬師としての厳しい表情に立ち返った弁慶は、子供を受け取りながらその場に腰を下ろし、脈をとりはじめる。
「ずいぶんと気力が削られているようですね。恐らく、それでこんなに衰弱してしまっているんだと思います」
「うん。気配が希薄なんだ。まるで、世界から無理やりに引き剥がされたか、何かに過剰に気力を搾り取られたみたいな感じがする」
早々に妹に子供を託し、近寄ってきた景時がその診察結果を補足する。
「その子、金の気が強いんだよ。弁慶なら相生だから、ちょっと分けてあげられない?」
「本職には敵いませんがね。まあ、やってみましょう」
促されて首筋の、ちょうど気脈が走る部分に掌を当て、弁慶はそっと瞼を下ろす。
「お、いい感じか?」
「当たりだったみたいだね。じゃあ、こっちは弁慶に任せておけば大丈夫だよ」
顔色は依然青白いままだったが、呼吸の頼りなさにはすぐさま改善がみられる。ほっと息をついた将臣は、その言葉に促されるようにして朔と望美によって必死にあやされているもう一方の子供を振り返る。
子供からしてみれば、ただでさえ大人は巨大なのに、その中でも長身の部類に入る景時と将臣がより威圧的に感じられたのだろう。さすがに朔では抱くのが辛いのか、腰を下ろしてその上に乗せてやる形に変化しているが、それでもだいぶ落ち着きを取り戻しているようにみえる。
「で? 声の正体はまあ、こっちの小姫だろうけど、あっちの坊主は何?」
「信じたくねぇよ、俺だって。でも、そういうことみたいなんだから、どうしようもねぇだろ?」
「……では、その、やはり?」
「やはりも何も、それ以外に考えられねぇ」
下手に近づいてはまた泣かれるとでも思ったのだろう。様子を見ようと足を向けかけた景時と将臣を容赦なく視線と仕草で遠ざけた朔から離れ、手持ち無沙汰な面子は現実を受け入れる努力に着手する。
「知盛と胡蝶さんがいなくて、あのチビ達がいた。そういうことだ」
「嫌な感じはしないから偶発的な事故か何かだと思いたいんだけど……。ヒノエくんは何か感じる?」
「なんにも。むしろ、普段のあの二人の気配を知っているからこそ、同一人物だって言われることにこそ違和感を覚えるね」
「ああ、それは同感。あんなに鮮やかな気の持ち主が、ここまで弱くなっちゃうとねぇ」
言いながらちらちらと視線を流し、人ならぬものに接することに慣れた二人は同時に溜め息をこぼす。
「とりあえず、は難しいとしても、知盛なら西八条から重衡を呼んでくれば本人かどうかの確認はできるんじゃないの?」
「人はやってる。事情は話せないけど、とにかく急げって言ってあるから、そのうち来てくれるとは思う」
考えることは同じだったようで、恐らく知盛と思われる子供の姿を見知っており、さらにはあの姿を見てもさほど動じず、口止めにもきちんと応じてくれそうな、という非常に厳しい条件をかいくぐれる唯一の人物を示し、将臣は遠い目で言葉を続ける。
「てか、やっぱり原因とかはわからねぇか?」
「さっぱりだね。強いて挙げろって言うなら、挙げられないでもないけど」
「え? そうなの?」
「アンタ、仮にも陰陽師だろ。こういうとんでもないことを起こせる、あの二人に関わる存在に、覚えはないわけ?」
わざわざ文節を区切りながら強調されれば、将臣にも思い当たる節がある。
「……オーケー。なんとなくわかった。けど、なんでこんなことになってんだ?」
「だから、強いて挙げるならって言ったろ? 及んだ力は想像がついても、ああいう尊き御方が何をお考えなのかは、人に過ぎないオレにはわからないよ」
「そこが一番大切だってのに!」
悔しそうに髪をかきまぜ、遠慮なくぼやいてから将臣は弁慶を振り返る。
「様子はどうだ?」
「呼吸は落ち着きましたよ。血の気はまだ戻りませんが、そう心配しすぎることもないでしょう」
「叩き起こしちゃマズイよな」
「却下です」
いくら中身があの、戦場にあって恍惚と嗤っている鬼神のごとき武将である可能性が限りなく高いとはいえ、今は蒼褪めた頬にわずかに血の気を戻しただけの、あどけなくかそけき呼吸を繰り返す幼い少年である。誰がどう見ても極悪人と被害者としか思えない関係図の発言は、誇り高き薬師によって即座に切り捨てられる。
Fin.