彼らについての噂話 〜おいしい二人〜
なぜかほんのり頬を染めながら視線をさまよわせてしまった朔の物言いに、望美は首を傾げる。
「もしかしてさん、最後まで付き合ってたの?」
「そうではなくて……どうやら皆さん本当に、本当に酔っていたらしくて」
そこで一旦言葉を切り、しかし覚悟を決めた様子の朔はいくばくか早口で続ける。
「途中で、ご退席いただいたそうよ。その、知盛殿とご一緒に」
「………? あっ!」
しばし考える時間は必要としたが、そこまで言われて状況を察せないほど望美もこの世界の常識に疎いわけではない。過ごす時間が積み重ねられれば積み重ねられるほど、どうしたって暗黙の了解は身につく。
「それでね、兄上が起きられた時には、広間にはもちろん、別にご用意しておいた部屋にもいらっしゃらなかったそうだから」
「わぁ……それは、確かに」
時間を置いた方がいいだろう。互いの精神衛生のために。赤面した顔を見合わせて曖昧に笑い、けれど望美も年頃の娘。手近なところに転がっている恋愛話に、食指が動かないはずがない。
「でも、そっか。まあ、仲が良い証拠だよね?」
「そうね。あれだけ焦がれていて、引き裂かれて、それでようやく傍にいられるようになったんですもの。本当は、もっとお二人で時間を過ごされたいんでしょうけど」
いかんせん、状況が二人にそれを許さない。知盛は平家の最重要人物の一人であり、月天将は龍神の神子とはまた別種の信仰を集める、南都の英雄なのだ。いたる席で様々な相手と繋ぎを取り、今後の平家のために奔走することを余儀なくされている。
晴れて思いを伝え合ったらしいのだが、恋人らしい時間など取れていないのは傍目からも明白。恐らく、それを踏まえてのヒノエの「ご愁傷様」発言だったのだろうが、そこに酒を入れて、邪魔の入らない状況で二人を閨に追いやるなど、据え膳だのまな板の上の鯉だのといった喩えでは追いつかないに違いない。結局、せめて他の面子が揃うまでは触れずにいることで合意して、二人はその残る面々を叩き起こしてもらうため、それぞれ家事に精を出しているのだろう天地の白虎を探しに行く。
「あ? まだ寝てんのかよ、あの二人!」
決して顔色は良くないし表情にも精細が欠けていたくせに、揃っていない顔の行方を聞いた途端、将臣の瞳が野次馬根性に輝きだす。
「相当我慢しているみたいだったけど、もしかしてアイツ、予想以上に欲求不満だったのか?」
「ま、将臣! そういう明け透けな物言いは……」
「でも、状況からするとそういうことなんじゃないの? 艶聞に事欠かない新中納言殿らしからぬ醜態だね」
「人聞きが悪いですよ。そもそも、そうなるように煽った君達にからかう権利はありません」
「けど、ほら! ちゃんはお疲れの様子だったから、もしかしたら単に寝過ごしているだけかもしれないし。ね?」
「そうだな。知盛殿が殿と何事もなく夜を共にされることは、珍しくもない」
慌てて言い繕った景時の言葉を敦盛が肯定したことで、顔色を赤くしたり蒼くしたりしていた九郎がようやく落ち着きを取り戻し、反対に将臣はつまらなそうに肩を落とす。
「それを否定できないあたりが、また凄ぇんだよなぁ」
「オレとしては、それをアンタ達に否定させないアイツの忍耐が意外で仕方ないよ」
と、それぞれに年齢の近い健全な成人男性としての意見だの感想だのを出し尽くしたところで、しかしいい加減に起こさないとという空気が漂う。だが、それを汲み、かつ立場的にも最も適任だろう将臣が口を開くよりも先に、ふと視線をめぐらせた敦盛が眉根を寄せる。
「どうした、敦盛」
「……声が、聞こえませんか?」
「声?」
言われて耳を澄ませば、確かに細く高い声が人を呼んでいるようである。
「子供か?」
「こんな時間に? どこかのお遣いかな?」
決して狭い邸ではないが、入り口に迷うほど広くもない。不信感を滲ませながら立ち上がった景時を追うように、将臣も腰を上げる。
「方向は一緒だろ。あの二人を呼びがてら、俺もついてく」
「景時、俺も行こうか?」
「ううん。大丈夫だと思う」
だからみんなは先に食事の準備をしていてよ、と。言った景時の気遣いを、さらに将臣が後押しする。
「先に食ってていいぞ。身支度だのなんだの考えたら、待つと遅くなりすぎる」
言って返答も待たずに先に部屋の外へと向かった将臣に続き、景時も足早に踏み出していく。
「さあ、では僕達は食事にしてしまいましょうか。心配しなくても、たとえ寝惚けていらしても、あの知盛殿と月天将殿ですよ?」
「そうそう。敵襲なら、いっそ喜々として返り討ちにするって」
内容としては実に物騒極まりなかったが、それは彼らの実力を正確に評価した上での信頼である。軽口に紛れさせて不穏になりかけた空気を払拭した天地の朱雀は、そのままの調子で残った面子を食事の席へと追い立てる。もっとも、実際に彼らが食事にありつけるのはこれよりかなり後の時間になってからだったのだが、それはまだ、誰にも予想のつかない未来であった。
Fin.