朔夜のうさぎは夢を見る

そして彼らの昔話 〜女の子は恋バナがお好き〜

「あ? まだ寝てんのかよ、あの二人!」
 すっきり爽やかな目覚めを迎えた将臣の朝一番のセリフは、どこかで聞いた覚えのあるものだった。ぞろぞろと集まってきた朝食の席に揃っていない顔を確認した途端、双眸が野次馬根性に輝きだす。
「なんだ、コレ? まさか、起こしに行ったらお邪魔虫ってヤツか?」
「ま、将臣! そういう明け透けな物言いは……」
「でも、状況からするとそういうことなんじゃないの? 艶聞に事欠かない新中納言殿らしからぬ醜態だね」
「人聞きが悪いですよ。そもそも、そうなるように仕組んだのですから、からかう権利はありません」
 意図しているものも意図していないものも、やはりどこかで聞き覚えのある会話をぽんぽんと交わしていたのだが、そうそう同じ展開ばかりが待っているとは限らない。
「……きちんと、日の昇らぬうちに西八条にお戻りになられましたよ」
 衣擦れの音もささやかに、姿をみせた渦中の人物の片割れは、朝の挨拶よりも先にまず己が主にかけられた不名誉な疑惑の払拭に着手する。
「勝手に邸内を出歩くのはあまり良くないことと、そう思って控えていただけです。なにやら賑やかなご様子でしたので、結局こうして勝手に出歩いてしまいましたが」
 言ってするりと部屋の入り口に膝をつき、は室内に向かって礼をひとつ。
「おはようございます」
 あてが外れたりほっとしたり、思わぬ気遣いに慌てふためいたり。それぞれに賑やかな反応を返しながら、集っていた面々は口々に朝の挨拶を返す。


 昨晩、神が直々に説明をしてくれたとおり、は昨日一日の存在をまるで覚えていなかった。控えていたはずの牛車がないことに驚き、時間がずれていることにはさらに驚き、絞りに絞って「魂をこの世界に馴染ませるための時間だった」という結論のみを与えられて、そしてにできるのは迎えを寄越してくれるよう要請する文を西八条に送ることだけである。
 きっと、知盛のフォローは重衡がそつなくこなしてくれていることだろう。それぞれの職分のためばたばたと動き回る九郎やらヒノエやらを尻目に、将臣はのんびりとおしゃべりに花を咲かせる黒白の龍の神子との声をぼんやりと聞き流しながら、簀子に座ってお昼寝モードである。
 無論、神に説明の委任を受けた以上、必要な役目をこなすつもりはある。だが、それ以前にと望美がきらきらした瞳で口止めを申し出ていたのだ。いわく、どうしても何も知らない状態の知盛とに、聞いてみたいことがあると。
「そういえばさん、初恋って、どんな人ですか?」
 それまでは一昨日の宴席での余興の話にはじまり、昨今の度重なる宴席の中で聞き知った噂だの見知った相手のことだのについてつれづれと会話をしていたくせに、ふと思い立った様子で望美が声を弾ませる。無論、将臣も望美の提案に乗ったからには、その問いの答えはぜひとも聞いてみたい。きたきた、と思いながら薄く瞳を開けて口元を綻ばせたところで、足音もなく簀子を渡ってきた義弟の姿を視界に捉える。
「どうしたんです、唐突に」
「唐突じゃないですよ! ずっと聞きたかったんです。だって、あの知盛を射止めたってことは、もしかしてさん、ものっすごい恋愛上級者なのかなって思って」
 いやいや、それはないだろうと胸中でツッコミを入れながら、どうやら話の内容が聞こえて興味を持ったらしく、いっそう気配を殺して近づいてくる知盛を見上げ、将臣はにやりと笑ってみせる。
「……恋愛に関しては、初心者もいいところだと思いますけれど」
 どうやら当人としてはあのじれったい時間が自身の経験値による部分も大きいことを自覚していたらしいが、言いよどむ気配といい、余さず伝わってくる期待の気配といい、言わずに逃げることはできないだろう。ついに将臣のすぐ脇までやってきた知盛は、するりと音もなく膝を折り、薄く笑って視線を音源へと投げている。


 しばしの沈黙の後、どこか考える風情を漂わせながら「そうですね」とは呟く。
「わたしははっきりとは覚えていないのですが、昔、夢の中の相手に惚れていたことがあると、母から聞いたことはあります」
 この手の質問に対する答としては、実に無難な、セオリーどおりの、そして決して嘘ではなく笑い話のネタとしてもちょうどいい、素晴らしい切り返し方だった。だが、にとってそれはいかにも子供の初恋という笑い話のネタでも、望美や将臣にはあまりに明白な根拠がある。くすくすと笑いを混ぜて、は先を促す望美に応じて続ける。
「繰り返し夢に見るならともかく、一度しか見なかった夢の相手をずっと気にかけていて、半年は続いたと」
「……その人、どんな人だったの?」
「“かっこよくて、強くて、綺麗な子”だそうです。あとは、アゲハチョウが好きなのだとか。いくら幼かったとはいえ、自分でもそれはどうかと思う捉え方なのですけれど」
 そういうことだったらしいと苦笑をこぼすに、けれど望美が興奮するのは抑えられないし、きっとそれを窘める声が聞こえないということは、朔もまたこのかわいらしく奇跡的ともいえる恋の話に夢中なのだろう。一方の将臣の隣で膝をついている青年はといえば、まだ右も左も覚束ないような年頃のかわいらしい思い出話に、どことない不機嫌な気配を滲ませはじめている。
「妬いたのか?」
「………悪いか?」
 からかい混じりの小声には、聞き取ることがやっとの憮然とした呟きが返される。聞き耳を立てていたなどという事実はすっかり忘却の彼方。堪えるつもりもなかった爆笑に驚いた邸中の人間が簀子に集まってくるまでは、あとほんのわずか。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。