ついでにもうひとつ昔話 〜時子さんに聞きました〜
え? ええ、ええ。そうですね。知盛殿は本当に体が弱くて。
重盛殿から清房殿まで、清盛殿は八人の息子に恵まれましたけれど、幼い頃からずっと体が弱かったのは、知盛殿だけでした。
あの子がこうして、一門を担うほどの立派で強い武将に育ってくれたことを、清盛殿は本当に喜んでいらっしゃったのですよ。
幼い頃には病のため、なかなか構ってやることもできず、寂しい思いをさせたと思います。ですが、病にも負けず、折を見ては武芸の鍛錬に精を出し、手習いも必死にこなして。何をやらせてもそつなくこなしてしまいますから、勘違いをされることも多いのですけれど。あの子は本当に、負けず嫌いの努力家なのです。
重衡殿とは年が近い分、互いに何やら思いの通じるものがあるようですが、年の離れた重盛殿や宗盛殿は、まるで父親のような心持ちだったのでしょうね。幼子は小さな病も命取りですから、重衡殿は知盛殿が臥せっている際には一切近くには寄らせませんでしたが、逆に重盛殿や宗盛殿は、時間を見ては見舞いにいらっしゃったり、良い薬だの滋養のある食べ物だのを贈ってくださって。
清盛殿がお忙しくてろくに様子をうかがうことができない分を、埋め合わせてくださっていたのでしょう。武人として鍛えている殿方と我ら女人は違うからと、私は知盛殿を見舞うことはろくにできずにおりましたが、様子を知らせる文なぞ、よくよく送ってくださったものです。
ですが、そうですね。こうして長じてくださるとは、誰もが思っていなかったというのも事実でした。原因もわからず、宋から招いた医者にみせても手の施しようがなく、知盛殿をいつ喪ってしまうのかと、かつては日々涙に暮れたものです。
知盛殿は体が弱い反面、幼い頃からとても聡明であることは傍目にも明らかでした。ですので、清盛殿は知盛殿が八つになるのを待ちかねたかのように大急ぎで元服をさせてしまって、まだ幼い子に官位を与え、早々に出仕をさせたのですよ。
え? ああ、八つを待つというのは、七つを過ぎるのを待つということです。将臣殿のお国では違うのかもしれませんが、私どもにとって、子は七つまでは神の理、八つからは人の理にて生きるものなのです。ですから、人の世のしがらみに縛るのはせめて八つを数えるまで待つようにと僧侶に諭されて、清盛殿も納得してずっと我慢をなさっていました。
さすがに八つの子供に政は荷が重いものだったのでしょう。それでも、佐殿の手を借りながらあっという間に仕事を覚え、大人も顔負けの才腕を振るったと聞いております。
それでも、体が弱いことには変わりがありませんでした。たびたび信じがたいほどの熱に侵されては何度となく「これで最期か」と覚悟をしたものですが、八つの年の冬は、本当に酷いものでした。
秋の終わり頃から調子を崩されはじめて、ああこれは、と嫌な予感に一門中が苛まれる中、冬にはまっとうに身体を起こすことさえろくにできなくなってしまいました。それはもう、なぜこのような目にあわねばならないのかと思うほどの苦しみようだったと聞いております。
熱病の恐れがあるからと六波羅の端にあった無人の邸に手を入れ、そちらに移されてからは見舞いにおとなうことを禁じられてしまって。乳母やら古参の女房はつけてやれたのですが、あとはもう、泉殿からひたすらに御仏に祈りを捧げることしかできませんでした。
無事に年を越せるかもわからないと言われ、いよいよこれまでかと悲嘆に暮れていたのですが、なんとか峠を越えて、持ちこたえてくださって。本当に、本当にあの時ほど深く御仏のご慈悲を感じたことなど、後にも先にも数えるほどしかありません。
あの熱を越えた頃から、知盛殿はそれまで以上に武芸の鍛錬に夢中になられたようでした。元々、剣の稽古はお好きだったようですが、あの熱より後は、さほどの重い病を得なかったこともあるのでしょう。鍛錬の時間が格段に増して、あっという間に一門でも筆頭の腕を身につけられました。
体が大人になり、丈夫になりつつあるのだと医者は後から申していましたが、あの熱にうなされている最中、なんでも、とても佳い夢を見たのだそうです。我ら一門の冠する揚羽を言祝ぐ、とても美しくてあたたかな夢だったと。
一門の紋が関わるともあれば、ただの夢と切り捨てるわけにも参らず、陰陽師を呼んで夢解きをしていただいたのです。そうしたところ、恐らく病を無事に越えられたのも、その夢でまみえた“揚羽”の加護であろうと。その言葉になんぞ思うところでもあったのでしょうね。知盛殿はますます文武の腕を磨かれて、公達としてももののふとしても、一門のためにといっそう尽くしてくださるようになって。
母としては、何事もあのようにさらりとこなしながら、同じように色恋に関しても非常に淡泊で、深く想う方をなかなか見つけられずにいらっしゃるご様子であることが本当に気がかりだったのですが、もう、そのような心配もありませんしね。
胡蝶と、そう名を与えたのは知盛殿と聞いています。そうなると、もはやこれは人智を超えた天の采配と思えてならないのですよ。一門の誰よりも強く誇り高く揚羽を負い、揚羽の加護を享けてこうして長じ、そして胡蝶を鞘と得るなど。偶然とは思えますまい。
今は、ですから、夢にてまみえたという“揚羽”も“胡蝶”だったのではないかとさえ思うのですよ。ええ、ええ。無論、考えすぎと笑われても仕方がないのですけれど。
胡蝶とは、夢と現を渡るもの。あの娘の知盛殿を想う心が夢を渡りて時を越え、幼かりし頃の知盛殿の命を繋いでくれたのだと。けれど私は、そう信じたいと思うのです。
Fin.